案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月27日水曜日

越後交通栃尾線 加津保の寒さ

昭和39年3月下旬、朝から曇り空で冬枯れの越後平野は大変な寒さであった。栃尾線と言えば思い出すのが曇天とあの寒さである。加津保の寒さは格別で駅周辺は一面の田んぼで何にもない、あまりの寒さに早々に引き上げた。次から次とやってくる珍品列車のお蔭で短い時間でいろいろな列車を撮ることができた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
 心地良いジョイン音を聞きながら小さなホハ18の窓から見えたナローのレール.

 大活躍していた元草軽の古典客車ホハ18が加津保に到着.

まだ電車が古典客車を牽いていた時代の標準的な編成. 

 加津保駅の周辺は一面田んぼ.

背後の山並みにまだ残雪があった.

小坂鉄道からやってきた客車
越後平野加津保の寒風を受けて走る列車に快速まであった.

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