案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月17日日曜日

北関東で煙を吐いていた古典蒸機

昭和37年、まだ北関東で煙を吐いていた上武鉄道(西武化学)の古典蒸機。53年前のネガを5年ぶりにスキャニンングしたところ、この5年でネガは大きく劣化し上武鉄道のネガのスキャンもこれが最後となってしまった。
西武化学工場内 1962.12.23
 ピッツバーグ7号機

 ナスミスウィルソン製5号機

以下は5年前にスキャンしたもの。
 

鹿島参宮鉄道からやってきた日車製D1001

西武化学前駅のりば

8 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

鉄道誌の記事でも言われていましたが、西武化学前というより、西武化学「内」だったらしいですね。
社員以外の乗降客なんておらず、酔狂なファンは西武化学の工場内に降りて面食らったとか…。(敷地外へ出る許可をもらう必要があったらしいです。)
丹荘の駅に軽便同然のDL+客車が停まっていたのをギリギリ記憶していますが、古典蒸機が走っていた頃も見てみたかったです。
廃線跡は今でこそ綺麗に歩道整備されていますが、昭和から平成に変わる頃まで路盤や橋梁など、遺構も結構残っていました。

katsu さんのコメント...

esuhokuさん
今思えばピッツバーグ古典ロコが客貨車を弾いて走っていたのが信じられません。
終点の西武化学前駅は確かに工場内で驚きました。
丹荘から歩いて駅(西武化学工場内)に到着したのですが、どうやって工場を出入りしたのかよく覚えていません。
古典蒸機ばかりに注目しそれ以外の写真が眠っていましたので、次回に途中駅、線路、客車などを
取り上げたいと思っています。

清水昭一 さんのコメント...

蒸気機関車は廃止され、写真に写っているロッド式ディーゼル機関車も新車が入って休車になった頃に尋ねました。
その時は、丹荘から元ガソリンカーの二軸客車に乗って西武化学前まで行ったのですが、乗り心地が悪いと思って
いたら案に相違してクッションが効いてフワフワとして快適でした。板バネとコイルバネを併用したことが良かった
のでしょう。車掌に運賃を支払いましたが、切符はありませんでした。切符が欲しいと言うと事務所にあるという
ことで事務所に行く、とあちこち探して何枚がいただきました。何処にしまったか今は行方不明です。何から何まで
上武鉄道はビックリの連続でした。確かに、敷地外へ出る許可をもらう必要がだったと思います。
一方同じ二軸車でも銚子電鉄のハフは対照的でゴツゴツとして激しくピッチィングし線路から飛び出すのではないか
と思われるくらいでした。連結面を見ると自動連結器が上下動で抜けるのではないか心配になるくらい。貫通制動も
なく車掌も乗車してなく、よく事故にならなかったなと感じました。

青蛙 さんのコメント...

訪問当時は西武化学工事用内にある駅で降りて
事務所で訪問者記録に住所と名前を記入して
許可を得ています。
数年後に同社の役員であった従弟がこの記録を見て
驚いて小生に電話してきました。
辺鄙なところに見学する人はマナーの良い鉄道ファン
であったため、寛容でした。
西武化学には多くの古典ロコとDL初期の虎模様のDL
が魅力的でしたし、篠山鉄道の客車も見られて
いい時代でした。青蛙

katsu さんのコメント...

清水さん
あの元ガソリンカーの二軸客車ハフ3に乗られましたか。
あのタイプのガソリンカーは東野鉄道や別府鉄道に居たのと似ていて台車が独特ですね。
やはりあれは乗り心地が良かったですか。
手元にあるフクシマ模型の16番キットが上武ハフ3であるのに気がつきました。
モータを装着すると別府鉄道キハ3になってしまうのかも知れません。
切符は丹荘で買った青柳まで10円の硬券がありました。
ビックリの連続、上武鉄道はよき思い出になりましたね。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
私はこの列車に乗った記憶が全くなかったのですが西武化学工場内で降りましたか。
さらに入門許可の記帳をしたとは・・すっかり忘れていました。
八高線丹荘駅に降りると12月も年の瀬なのに快晴でとても気持ちよい陽気だったのをよく覚えています。
北関東の寒さが感じられない一日でした。
終点の手前の木立の中で撮影ポイントが定まらないうちにピッツバーグ7号が姿を現し慌てましたね。
東京から近場なのにここへやって来る鉄ファンはまだ少ない時代だったようですね。

伊豆之国 さんのコメント...

上武鉄道の存在は、少年時代に鉄道雑誌で知り、「交通公社」の時刻表にも載っていたのも覚えていますが、利用客も高が知れているような「片田舎」(路線の全部が「埼玉県神川町」内…その当時はまだ「村」でした)のミニ私鉄にどういう存在価値があるのか、その理由がわかりませんでした。旅客輸送が廃止され、時刻表から消えたのは昭和47年だったと記憶しており、その後しばらく貨物線として残っていたことも知りましたが、その謎がようやく解けたのは、「西武化学前」駅の驚くべき様子など、たぶんesehokuさんがおっしゃっていることと同じで、私は"Twilight Zone"だったかの本で見たものでした。
20年ほど前の初冬に、その「上武鉄道」が走っていたその延長線上にある、群馬県藤岡市鬼石町の観光名所「冬桜」の見物に行ったことがあり、本庄駅から鬼石町までバスに乗ったのですが、八高線の踏切を越えてしばらくすると、右手の車窓の田園地帯の向こうに廃線跡と思しき築堤が見え、これがどうやら「上武鉄道」の痕跡らしいとわかったのでした。「西武化学」は、鉄道廃線後、社名も変わり、私が見た頃にはどこに面影があるのかわかりませんでした。鬼石町には温泉もあり、その昔東上線に「フライング東上」という観光特急が走っていた頃、終点の寄居駅で接続してその温泉旅館に直行するバスが運行されていて、観光シーズンには大勢の団体客でにぎわったことがあるそうでした。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
私は上武鉄道について古典蒸機以外は何も関心無かったのですが、
皆さんから情報を戴くと、古典機が使われなくなった以降も色々と話題が多かった上武鉄道なんですね。
RMライブラリーを読んで大井川井川線からきたDD104に目が釘付けになりました。
DD104のこんな奇妙な光景はまず他にはないでしょう。
地図やストリートビューにも廃線跡がかなり鮮明に確認できますね。
工場の門と崖っぷちの小さな鉄橋までけっこう距離があるのが不思議に思えてなりません。
機関庫の位置、小鉄橋までの経路、竹藪、木立の中のカーブなど、現役時代の写真と対比した廃線跡探索の楽しみはまだまだありそうです。