案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月18日月曜日

北関東の小私鉄 上武鉄道

昨日朝のNHK 小さな旅 “埼玉東秩父 和紙の里に水音響いて” に惹かれて地図を確認していると、東秩父村の北方に寄居があり更にここから北17kmほどに八高線の丹荘があった。上武鉄道(旧称日本ニッケル鉄道) はこの丹荘から西武化学前まで6.1km(23分)を走っていた。古典蒸機の宝庫であり本ブログでは蒸機以外に目もくれなかったが改めて53年前の北関東の風景を思い出してみました。


夕暮れを西武化学前へ向かう列車D1001+ハフ3.1962.12.23
桑畑一帯に立ちこめるモヤは並走する県道上里鬼石線の道路から巻き上ったホコリでしょう。

八高線で寄居から4駅目の丹荘駅

周辺には何もない上武鉄道丹荘駅.ここから客貨混合列車が1日5往復していた.

いかにも北関東の雰囲気がする青柳無人駅.

寄島無人駅

寄島~西武化学前

神流川沿いの竹やぶを行く蒸機の混合列車.寄島~西武化学前

向こうのやぶを過ぎ川を渡ると視界が開け西武化学工場があり、その一角に機関庫があった.
工場側からやぶの方を見る.
機関庫前で盛んに煙を挙げていたのはピッツバーク7号機で、7号は西武から借り入れて間もない頃であった。

この日活躍していたハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー) 上白クリーム/下淡ピンクのツートンカラー.

ハフ2(元川越鉄道の古典客車改造) 丹荘

3 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

1.6.7.8枚目の画像、今でも面影が残っていますね。
現在、丹荘からほぼ全線に渡って廃線跡を辿る事ができますが、寄島から先、画像にある藪と、線路跡の小径はそのままで、川の手前で行く手を阻まれます。(西武化学前がその先にあった事に想いを馳せながら引き返すわけですが…。)
それにしても、青柳、寄島の停留所の現役時代の画像は初めて見ました。
今、もう一駅の神川中学校前も含めて、ホーム跡や、レプリカと思われる駅名表がありますが、地元とはそんなに密着していたとは思えないのに、やけに思い入れの感じられるモニュメントに違和感アリアリでした。
上武鉄道…現役時代も廃線後も謎めいた鉄道ですね。

esehoku さんのコメント...

連投すみません。
古典蒸機の陰に隠れて語られる事の少ないDLたちですが、シマウマ模様の(「ゼブラ塗装」とは敢えて言いません)D1001とか、元大鉄井川線のDD104(見ていてスケール感がおかしくなりそう!)が、曰く付きの客車や貨車を牽く様は、ゲテモノぶりにおいては東の上武・西の北丹と言えると思いました。
NEKOパブリッシングの本によれば、晩年は国鉄の余剰車両の解体のため引き込み線として使われ、西武化学前の工場内で車両の解体が行われたそうです。あの脆弱な線路上を、国鉄の20m級車両が牽引されていったとは想像もつきませんが…。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
大井川井川線からきたDD104のことを「スケール感がおかしくなりそう」とは上手い表現ですね。
井川線規格の世界で堂々たる風貌のDD機関車が上武鉄道にやって来て国鉄貨車と連結した時の写真を見て驚きました。何たるサイズの違い! DDがあの堂々たる風貌のせいでよけい滑稽で小人の国の機関車に見えます。
カトーやサカイの軽便サイズDBであれば国鉄貨車より遥かに小さくて何も感じないのですが。
あのDDが牽く列車は奇天烈の極めつけであった訳ですね。
模型で縮尺違う機関車をゲージを改軌して連結しちゃったような感じです。