案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月3日日曜日

小私鉄めぐり記事

子供の頃によく読んだ「鉄道模型趣味」誌の小私鉄めぐり記事に車両紹介と共によくこんな情景描写の文章があって、これを読むと小私鉄の情景が目に浮かび強烈な印象が残っています。小私鉄で何を見て何を感じたかは訪問した者でなければ書けないこと。昭和30年に発表された1219生さんによる西大寺鉄道の記事の一部を昭和37年に撮った風景と対比してみました。

財田 1962.07.29

キハ7  財田  1962.07.29

岡山の一つ隣、山陽線の東岡山という田舎駅のすぐ前に、西大寺鉄道の財田の小さい駅がちょこんと建っています。ここは全線のほぼ中間で今はただ一つの交換駅、カタリンカタリンとディーゼル特有のアイドリングの音をさせている車を気にしながら、あわてて切符を買いますが、この切符はモデルのペーパー車両用の白ボールそっくり。何も急がなくても車はゆっくり待っていてくれるのですが、そこは日ごろのくせで・・・。 

皆さんが乗り込んだとみるや、やおらタイフォンを鳴らしクラッチが入ります。ゲージも小さく車体も小さい。タブレットも又小さい。乗っている人間だけがどこも同じスケールです。道に沿い自転車と競争します。止まりました。停留所でした。道端に石が積んであるのがホームらしく、お客は道を行きかう自動車の砂塵をあびつつ待たねばなりません。切符を売っている家には永利駅という看板がでています。他の駅も似た様なもので、一寸土盛りしたホームの上に犬小屋が置いてあって、犬が吠えついていたり、ささやかな家庭菜園が作ってあったり・・・。 

畑の中の小川を渡り、やぶの横を曲がり、終点西大寺のバスと共用の堂々たる建物に着きます。車庫はバスのそれとつづきで、キャブオーバー等の車体の並ぶ中を通り抜けて訪問致しました。ともあれ動車、客車はマルーンに白線入りのいでたち、カップラーはアサガオ形の軽便スタンダード。


真夏の広谷駅  1962.07.29
 西大寺の車庫 1962.07.29

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