案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月10日日曜日

庄内交通 砂丘の中の七窪駅

昭和41年の「東北私鉄めぐり」は田辺さん青蛙さんと一緒で、2月27日上野発21:00の上越線羽越線まわり秋田行急行「羽黒」のナハ11に揺られてうす暗い温海駅に到着したのが翌朝5:30。冷たい雨の中を日本海沿いに走る羽越線C57の撮影からスタートした。9日間の旅で旅館に泊まったのはたった1泊のみ、あとは東北周遊券で夜行列車を使った毎夜の車中泊であった。朝食を抜けば一番列車から撮影できて、すこぶる効率が良いのだが空腹と寝不足の旅であった。こんな旅に耐えたのも次々消えゆく地方私鉄を記録しておきたい一心からであった。


海岸沿いの羽越線列車を小岩川近くでしばらく撮って、DF50が牽く日本海に乗って庄内交通が出ている鶴岡に到着したのが昼頃。鶴岡を発車した1両の電車は雄大な出羽三山を望む庄内平野をしばらく走ると交換駅の善宝寺に到着する。ここから風景が一変し、松林の中を抜けると砂丘が現れそこに七窪駅があった。終点の湯野浜温泉まで乗って終着駅と日本海沿い温泉町の家並みを撮って七窪に戻る。ここで三人は思い思いの撮影ポイントを探して散りぢりとなり、田辺さんは望遠レンズで七窪のこんな風景を捉えていた。以前アップした私の45mmレンズで撮った七窪とはだいぶ感じが違って見える。

1966.02.28 撮影:田辺多知夫
庄内砂丘の中にあった七窪駅 
このあたりの海岸は昼前に見た荒海の日本海と違って、松林連なる遠浅の砂浜のためか日本海独特の暗いイメージはなく明るい感じの海岸線で、別荘風の気の利いた建物が1軒ポツンと立っていた。トゲの植物が生い茂る七窪の丘陵を登ると松林の向こうに穏やかな日本海が見え鶴岡行の電車がモータをうならせて勾配をゆっくりゆっくり登って行った。七窪駅の貨物線の端には使われなくなった2軸客車などが置き去りになっていて、車庫もどうやら使われていない様子、ひと気のない寂しげな駅はムード満点であった。

七窪の風景にふさわしいモハ7(元京王電軌)が盛んに往復していた。

日本海から離れた民家でも風よけの囲いがあった。 善宝寺-七窪

善宝寺を過ぎ田圃と松林の間を走ってから松林の中に入る。
善宝寺~七窪の松林区間を行くモハ8

善宝寺駅へ進入するデハ101

2 件のコメント:

なと。 さんのコメント...

庄内交通は湯野浜温泉に私を大事にしてくれた伯父が住んでいたので、特別な想いがあります。そしてまた地方私鉄の魅力を教え込まれた?路線でもありました。
自分が知っているのは廃止前の6年ですが、初めて行ったときは七窪には不気味な車庫があったのを覚えています。今にして思えばなぜあんな海の近くの砂地に作ったのでしょう?
最後の写真は善宝寺のホームからですね、あのアングルは懐かしい限りです。

katsu さんのコメント...

なとさん
伯父さんが住んでいたのが確か湯浜温泉駅のすぐ脇でしたね。
湯野浜温泉も砂丘の中にあるそうですね、そして日本一夕陽が美しい湯野浜の海岸。
湯野浜は荒々しい日本海とはイメージ違うことが私の記録に書いてありました。
しかし七窪は暗いイメージしかありません。
やはり七窪の車庫は不気味なものを感じましたか。
なんとも興味深い駅ですね。