案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月22日金曜日

上武鉄道 神流川の渓谷

西武化学の工場を出た列車は、神流川(かんながわ)渓谷沿いの竹藪や林をちょっとだけ走った記憶メモがあり写真と地図で位置を推定してみました。

工場から出てきた7号機が小さな鉄橋を渡る.1962.12.23
右手に神流川(かんながわ)が流れ、線路はかなり川に接近している.
ピッツバーグ製7号機

鉄橋を渡ると神流川の土手沿いの竹藪と木立の中を列車は消えていった.右手に家が数軒あった.



現在の地図に西武化学(現 朝日工業)に入門する直前の軌道を推定してみました。1枚目写真の藪の中の小鉄橋が矢印の位置と思われるのですが、崖っぷちを走っていた記録メモからすると、もう一つの工場直前の川の小鉄橋かも知れません。
現在の地図を見ると、丹荘から西武化学へ向かう軌道跡が小鉄橋(矢印)まで小路として残っているものの、小鉄橋で軌跡が消滅しているようです。小鉄橋(矢印)から工場入口門までの崖っぷちの林の中に何か軌跡があるのではないでしょうか。

参考車両写真
元井川線のDD104と同類の102.川根両国 1966.9.23
国鉄貨車と連結するとesehokuさん曰く「スケール感がおかしくなりそうな機関車」.

連結して初めて分かる井川線規格と国鉄標準サイズの違い.千頭

5 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

2枚目の画像は、現在も歩くことが(どうにか)できる藪の中の小径で、手前が西武化学前、奧が丹荘方面だと思われますが、1枚目ははたして、西武化学前から出てきて2つ目の小鉄橋だと思われます。
地図上の、西武化学の工場から1つ目の鉄橋までは辿る事が困難な、言わばミステリーゾーンですから何とも言えないところもありますが…。
廃線跡巡りがこれだけブームになっているのに(…てか、一般的なブームとは別でしょうが)、上記の箇所は謎のままですね。謎は謎のままでも、それはそれでファンタジーを掻き立てられますが…。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
画像に番号を付けてみました。
③の画像についてesuhokuさんの推定
>現在も歩くことが(どうにか)できる藪の中の小径で、手前が西武化学前、奧が丹荘方面だと思われます。
は、なるほどそうであれば地図とよく一致する感じがします。
私の思い込みで似たような②と③を同じ位置としたのが、つじつま合わない原因だったかも知れません。
あくまで推定ですが地図に画像の番号を入れてみました。

esehoku さんのコメント...

ありがとうございます。
廃線跡の検証というのも楽しいですね。
ただ…②と③は全く同じ位置のような気がします。おそらく③の場所ではないでしょうか?
(現在の、丹荘から廃線跡を辿ってたどり着ける終端の、工場手前の小鉄橋を背にして丹荘方面を向いて撮ったのでは?)
あくまで私見です。違っていたらすみません…。
DD104ですが、「スケール感がおかしくなりそう!」という私の表現、気に入って使っていただいたようで恐れ入ります。堂々としたフルスケールのデザインそのままでサイズを縮小したわけですから、当然無理がある訳で、乗務員泣かせの機関車だったらしいですね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
1枚目の蒸機列車の位置が③であれば53年前の私の曖昧なメモに近いです。
しかしストリートビューでは③の位置まで入れず決定的なものがありませんでした。
今ではこの鉄橋も消えてしまっているようで?
あとは現地に行って確認する楽しみが残されていますね。
食品スーパ「はせがわ」裏手の川ぞいの林の中を歩いてみたいものです。

katsu さんのコメント...

池袋で東上線に乗って八高線丹荘まで2時間ちょっと。
丹荘から元西武化学まで軌道跡をウォーキング「春の廃線跡探索」楽しい一日となることでしょう。