案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年4月4日金曜日

葛生のナロー4

よく晴れ渡った4月末の唐沢鉱山。
山々の木立ちが石灰の粉塵を被っていたが、モノクロ写真では新緑が美しく見える。
小型鉱車はここで石灰岩を積んで住友セメント栃木工場(葛生)まで搬送していた。

終点の唐沢鉱山の施設が近代的に思えてしまいこの積込み場には二度と来る事がなかったが、
今になってみると小型鉱車がいた頃の唐沢原石軌道の全てが興味深い。

唐沢鉱山の石灰岩積込み場. 1971.04.25

さんさんと陽が射す長閑な風景とDB機関車

20両近い小型鉱車の編成

人車と狭いせんろがある風景

4 件のコメント:

ひもブレーキ さんのコメント...

私も何度か訪ねたことがあります。やはり、小型の鉱車の時の方が良かったですね。いつも、1080号蒸気機関車が動くときの空き時間での訪問でしたので、変化のある写真を撮っていません。それではいけないと、ここだけを目的に行ったことがあります。生憎雨模様になってしまいましたが、それ以上にショックだったのは、鉱車が大型になり機関車も大型に変更されていたこと。しかも、その日は試運転日でした。

katsu さんのコメント...

ひもブレーキさん
同じ感想なんですね。
こんな素晴らしいナローの世界へ何故通わなかったのか、輸送の近代化で大型車両になったのが原因だったようです。最近になって写真を較べてみると大型化以前の小型鉱車の時代こそが魅力溢れる光景だったのですね。

にわとり さんのコメント...

こんにちは。

葛生は憧れましたね。
小学生の時分から地図に無数の線路があって気になっていたんですけど、
鉄道の知識も行動力も無かったから「なんだろう?」で終わってしまってて、
始めて行ったのが、それからず~と後の羽鶴の専用線廃止直後でした。
せっかく両毛線沿線に住んでいるのに残念でなりませんでしたね。

貴重な写真を残していて下さって、感謝しています。

katsu さんのコメント...

にわとりさん
こんにちは。
これを撮った頃は撮りっぱなしでネガは眠ったまま、唐沢鉱山軌道の素晴らしさを余り感じていませんでした。
数年前にネガをスキャンし、初めてこの軌道の素晴らしさを感じた次第です。
あの1970年代初頭は鉄道趣味から遠ざかり葛生界隈の情報も入らず、すっかり関心を失っていた頃でした。
今思えば両毛線沿線は車で至るところへ撮りに行けて魅力的な対象もまだあった1970年代だったと思います。