案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年9月28日水曜日

下津井電鉄 丸亀航路


瀬戸大橋開通に合わせて作られた下津井電鉄の案内板. 児島駅 1988.4.8

その昔、岡山から国鉄宇野線の茶屋町で下津井電鉄に乗換えて下津井まで行き、下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートの一翼が下津井電鉄であった。
1972年3月に茶屋町-児島間が廃線となり、児島~下津井間6.3Kmのみとなり国鉄との接続が無くなってしまったが、観光客の足はそれ以前から倉敷~児島間のバス便がメインであったようだ。

残された路線で児島から鷲羽山や丸亀航路の下津井港へ観光客を運んでいた軽便鉄道は、瀬戸大橋の開通に合わせ観光鉄道化への様々な増収策が実施された。
そして1988年4月10日に瀬戸大橋とJR瀬戸大橋線が開通すると、岡山からJRで四国へ最短時間で渡れるようになった。

大カーブで方向を変えると海へ向って下る. 下津井-東下津井  1988.4.9


下津井港へ向かって下ると終点下津井に到着する.

下津井で降り改札口を出ると丸亀航路が迎え、丸亀まで1時間ちょっとの瀬戸内海の船旅が始まる.写真は瀬戸大橋開通の前日で、明日から流れが変わる。 1988.4.9

四国丸亀と連絡する琴平参詣船の発着港として繁栄してきた下津井港. 1988.4.9


部分廃線以前の下津井→丸亀航路 1969年5月
丸亀航路から見た下津井港の古い街並. 1969年5月

2 件のコメント:

nekosuki.org さんのコメント...

 下津井電鉄。現役時代に一回、廃線後に一回、行ってます。現役時代といっても部分廃線後ですから、もう荷台つき電車はいなくなっていましたが(正確には、クハ化されたやつが留置されているのは見ることができた)。
 一回目の訪問時には、しょーじき、下津井駅付近って「ひなびた漁村」でしかなくて、ここが本州四国航路の一大拠点だったとか、古くからの瀬戸内海運の拠点地だったとか、なんか信じられないしたんですよねえ。まあそのときは尾小屋のあと下津井にまわったもので疲れ果てていてろくに歩きもしなかったのですが。
 二度目の訪問時にはちょっとお散歩もして、下津井の旧市街地も歩いてきました。写真は撮らなかったんですけど。回船問屋の立派な建物とかも残っていて、「なんだよなんだよ下津井駅って下津井の旧市街地にあるわけじゃなかったんかいっ」とか。まあ、ろくに下調べをしないで行くとそういうことになるという見本みたいなもんですが(=^_^;=)。
 あらためて確認はしていないんですが、前に調べたところでは、たしか下津井~丸亀の航路って、もうなくなっちゃってたはず。まあ瀬戸内大橋とかできてしまいましたし、いたしかたないんでしょうね。
 二度目の訪問の翌年でしたか、下津井駅の駅舎が台風の高波による浸水かなんかで被害を受け、取り壊されることに。まあ、旧駅舎に最後に再会できたことでよしとすべきなのかもしれません。いやあ、しかし新造車まで入れたのにあんなにあっさりとなくなるとは思いもしなかったんだよなあ・・・。

katsu さんのコメント...

Nekosukiさん
コメントありがとうございます。
下津井の市街はNekosukiさんにとって大変興味深い港町であったことでしょう。
私が昭和44年に撮った写真を見ると下津井や四国の港町の家並みには独特のものがあり、まるで映画で見たような・・・私はそんな家並を素通りしてしまい惜しいことをしました。
瀬戸大橋開通の頃にそんな歴史ある下津井の町にまるで遊園地みたいな駅ができたのには驚きました。
観光鉄道はバブルで終わってしまいましたが、今の時代なら悠々とした時間を過ごすこんな鉄道が受けたかもしれません。下津井の最期は時代が悪かったですね。
Nekosukiさんが二度目の訪問で撮られた下津井駅や児島駅の廃墟がショックです。