tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post502120903126404104..comments2024-03-24T21:36:50.201+09:00Comments on 地方私鉄 1960年代の回想: 下津井電鉄 丸亀航路katsuhttp://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-5089026780352534972011-09-28T22:00:51.190+09:002011-09-28T22:00:51.190+09:00Nekosukiさん
コメントありがとうございます。
下津井の市街はNekosukiさんにとって大変...Nekosukiさん<br />コメントありがとうございます。<br />下津井の市街はNekosukiさんにとって大変興味深い港町であったことでしょう。<br />私が昭和44年に撮った写真を見ると下津井や四国の港町の家並みには独特のものがあり、まるで映画で見たような・・・私はそんな家並を素通りしてしまい惜しいことをしました。<br />瀬戸大橋開通の頃にそんな歴史ある下津井の町にまるで遊園地みたいな駅ができたのには驚きました。<br />観光鉄道はバブルで終わってしまいましたが、今の時代なら悠々とした時間を過ごすこんな鉄道が受けたかもしれません。下津井の最期は時代が悪かったですね。<br />Nekosukiさんが二度目の訪問で撮られた下津井駅や児島駅の廃墟がショックです。katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-90168975223390834652011-09-28T18:16:34.082+09:002011-09-28T18:16:34.082+09:00 下津井電鉄。現役時代に一回、廃線後に一回、行ってます。現役時代といっても部分廃線後ですから、もう荷... 下津井電鉄。現役時代に一回、廃線後に一回、行ってます。現役時代といっても部分廃線後ですから、もう荷台つき電車はいなくなっていましたが(正確には、クハ化されたやつが留置されているのは見ることができた)。<br /> 一回目の訪問時には、しょーじき、下津井駅付近って「ひなびた漁村」でしかなくて、ここが本州四国航路の一大拠点だったとか、古くからの瀬戸内海運の拠点地だったとか、なんか信じられないしたんですよねえ。まあそのときは尾小屋のあと下津井にまわったもので疲れ果てていてろくに歩きもしなかったのですが。<br /> 二度目の訪問時にはちょっとお散歩もして、下津井の旧市街地も歩いてきました。写真は撮らなかったんですけど。回船問屋の立派な建物とかも残っていて、「なんだよなんだよ下津井駅って下津井の旧市街地にあるわけじゃなかったんかいっ」とか。まあ、ろくに下調べをしないで行くとそういうことになるという見本みたいなもんですが(=^_^;=)。<br /> あらためて確認はしていないんですが、前に調べたところでは、たしか下津井~丸亀の航路って、もうなくなっちゃってたはず。まあ瀬戸内大橋とかできてしまいましたし、いたしかたないんでしょうね。<br /> 二度目の訪問の翌年でしたか、下津井駅の駅舎が台風の高波による浸水かなんかで被害を受け、取り壊されることに。まあ、旧駅舎に最後に再会できたことでよしとすべきなのかもしれません。いやあ、しかし新造車まで入れたのにあんなにあっさりとなくなるとは思いもしなかったんだよなあ・・・。nekosuki.orghttps://www.blogger.com/profile/07138616558305608103noreply@blogger.com