その昔、岡山から国鉄宇野線の茶屋町で下津井電鉄に乗換えて下津井まで行き、下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートの一翼が下津井電鉄であった。
1972年3月に茶屋町-児島間が廃線となり、児島~下津井間6.3Kmのみとなり国鉄との接続が無くなってしまったが、観光客の足はそれ以前から倉敷~児島間のバス便がメインであったようだ。
残された路線で児島から鷲羽山や丸亀航路の下津井港へ観光客を運んでいた軽便鉄道は、瀬戸大橋の開通に合わせ観光鉄道化への様々な増収策が実施された。
そして1988年4月10日に瀬戸大橋とJR瀬戸大橋線が開通すると、岡山からJRで四国へ最短時間で渡れるようになった。
そして1988年4月10日に瀬戸大橋とJR瀬戸大橋線が開通すると、岡山からJRで四国へ最短時間で渡れるようになった。
大カーブで方向を変えると海へ向って下る. 下津井-東下津井 1988.4.9
2 件のコメント:
下津井電鉄。現役時代に一回、廃線後に一回、行ってます。現役時代といっても部分廃線後ですから、もう荷台つき電車はいなくなっていましたが(正確には、クハ化されたやつが留置されているのは見ることができた)。
一回目の訪問時には、しょーじき、下津井駅付近って「ひなびた漁村」でしかなくて、ここが本州四国航路の一大拠点だったとか、古くからの瀬戸内海運の拠点地だったとか、なんか信じられないしたんですよねえ。まあそのときは尾小屋のあと下津井にまわったもので疲れ果てていてろくに歩きもしなかったのですが。
二度目の訪問時にはちょっとお散歩もして、下津井の旧市街地も歩いてきました。写真は撮らなかったんですけど。回船問屋の立派な建物とかも残っていて、「なんだよなんだよ下津井駅って下津井の旧市街地にあるわけじゃなかったんかいっ」とか。まあ、ろくに下調べをしないで行くとそういうことになるという見本みたいなもんですが(=^_^;=)。
あらためて確認はしていないんですが、前に調べたところでは、たしか下津井~丸亀の航路って、もうなくなっちゃってたはず。まあ瀬戸内大橋とかできてしまいましたし、いたしかたないんでしょうね。
二度目の訪問の翌年でしたか、下津井駅の駅舎が台風の高波による浸水かなんかで被害を受け、取り壊されることに。まあ、旧駅舎に最後に再会できたことでよしとすべきなのかもしれません。いやあ、しかし新造車まで入れたのにあんなにあっさりとなくなるとは思いもしなかったんだよなあ・・・。
Nekosukiさん
コメントありがとうございます。
下津井の市街はNekosukiさんにとって大変興味深い港町であったことでしょう。
私が昭和44年に撮った写真を見ると下津井や四国の港町の家並みには独特のものがあり、まるで映画で見たような・・・私はそんな家並を素通りしてしまい惜しいことをしました。
瀬戸大橋開通の頃にそんな歴史ある下津井の町にまるで遊園地みたいな駅ができたのには驚きました。
観光鉄道はバブルで終わってしまいましたが、今の時代なら悠々とした時間を過ごすこんな鉄道が受けたかもしれません。下津井の最期は時代が悪かったですね。
Nekosukiさんが二度目の訪問で撮られた下津井駅や児島駅の廃墟がショックです。
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