案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月21日火曜日

加賀温泉郷行きの電車 ブラウン・ボベリと詰襟の制服

私の訪問記に興味あることが記されていた。
ブラウン・ボベリ製の丸型マスコンハンドルを、関西式の詰襟制服を着た運転手が、ガリガリ操作していた・・・・と。


新動橋を発車した1812.
運転手が両手で丸ハンドルを握っている姿はまるで自動車のハンドルのよう。

河南駅の1821   1964.12.29

すっかり忘れてしまった事だが、ネガを探しその光景を思い出す場面を見つけました。
河南駅に到着したモハ1820、1810形が山中へ向かったり山代へ引き返す場面で、運転手の詰襟姿、その横に背の高いコントローラの丸型ハンドルが窓ガラス越しに見える。さらに車内で撮った運転台をみると確かにブラウン・ボベリの文字が読み取れる。この丸型ハンドルを握って路面電車のように立って運転しているのを、他の画像で確認することができたが愉快な光景である。
モハ1810、1820型はスイスのブラウン・ボベリ社製の制御器だったそうだ。私は全く撮った記憶がない運転台が写っていたのは、同行者にめっぽう電車に詳しいお二人がいたお陰であろう。


ブラウン・ボベリのコントローラ  ポップアップします

この日見たモハ1810型の中で最も奇麗だったモハ1812のことだと思われるが、北陸鉄道カラーについて・・・窓下の鮮やかな朱色と、窓回りが黄色がかったクリーム色のツートン、屋根は完全な美しい灰色・・・とメモされていた。
費用削減でカラーフィルムで撮れなかった悲しさ、必死にメモしたのだろう。北陸鉄道カラーは模型等でお馴染みのカラーであると思うが、この北陸の地によく似合い魅力溢れるツートンカラーであった。大型車のニセアルミサッシ色もこのツートンによく似合う、のメモもあった。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も忘れていました。よくぞ掘り起こしてくれました。感激です。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
日記の記録と、オリンパスペンで撮ったコマが45年後になって役立ちました。たった数年間だけ使ったオリンパスペンでしたが、このハーフサイズのコマには、35mmでは決して撮ることのない面白いものがいろいろ眠っていました。

Cedar さんのコメント...

加賀の南にあるから加南線、山代温泉と山中温泉の乗り換え駅は河南・・・ややこしくも面白いですね。
うちの父はこの線に乗っており、お写真にも写っている河南での接続の様子(山代行きが山中行きの上下線の間に入って相互に乗り換え可能だったこと)を話してくれました。
ブラウンボべリのコントローラーはヨーロッパでは良く見る形です。

katsu さんのコメント...

edarさん
先日の父上の温泉電軌の写真拝見しました。
河南駅は山中温泉~山代温泉の直通もあり、河南から車庫のある山代までは山中線の一部のような感じでした。
山中、山代と似たような名称がこれまたややこしくよく間違えます。
ブラウン・ボベリのあの丸型ハンドルは国内では余り例がないそうですが?? ヨーロッパでは珍しくもないでしたか。