青蛙さんの話しによると
『オリンパスペンをもってふらりと水戸まで出かけたのです。 廃止直前で、古色蒼然とした中をゆるゆると路面電車が走っていました。この時にはすでに新車は仙台市に転籍移動されて見られませんでした。 正面から側面に廃止の飾りつけ車両も走っていました。撮影場所がどこかわからないところが多く、メモは引っ越しや建て替え時に紛失』とありました。
撮影場所は大洗海岸の曲松あたりでした。
軌道の両脇に魚の木箱が積まれ大洗港が近い街中。 曲松-東光台 昭和41年5月
踏切警手が小屋の前で踏切を操作し、たばこ屋や倉や民家などが古めかしい.
軌道は人が歩く通路なのか枕木やバラストが土に埋もれている.
松の木と広々とした風景から大洗の海に近いと思われる.
海辺の曲松停車場.
駅で遊ぶ子供達や見送りなのか家族の姿など、いかにもその時代の駅の風景らしい.
駅で遊ぶ子供達や見送りなのか家族の姿など、いかにもその時代の駅の風景らしい.
上水戸駅前~水戸駅前間はこの1年前 昭40年6月10日で廃止.
参考図書
鉄道ビクトリアル「私鉄車両めぐり」第5分冊/茨城交通水浜線/中川浩一 著/鉄道図書刊行会
RM LIBRARY第63巻/茨城交通水浜線/中川浩一 著/ネコ・パブリッシング
8 件のコメント:
大洗はガルパン関連で何度か訪れた事があります。
1枚目の写真は地形と、踏切警手がいるという事で恐らくここ。
http://goo.gl/maps/qcmdt
廃止時には既に無くなっていた仲町停留場跡です。
3枚目の駅は曲松駅ですね。こちらのブログの
写真と周囲の風景が一致します。
http://ameblo.jp/magarimatu/entry-11205910291.html
現在の同地点
http://goo.gl/maps/eCCrW
水浜線は小野寺靖著「水浜電車」という平成24年発行・定価1365円の詳細な郷土資料があり、これが非常に参考になりました。
JANコードは無く入手方法も非常に限られると思いますが、大洗の磯浜町にある江口又新堂さんに行けば、恐らくまだ手に入ると思います。
影武者さん
ご教示ありがとうございました。
本日、RMライブラリー63号が手に入り影武者さんのコメントと併せていろいろ調べてみました。
①一枚目の写真で、グーグル地図の位置、驚きました! よくここがよく判りましたね。
昭和5年の5万分の一地図を見ると確かにここに駅がありました。
②三枚目の写真で、ご指摘の通りこの駅は曲松停車場に間違いありません。
RMライブラリーにもずばりの写真がありました。
廃線時の大洗駅は昔の地図の位置とは変わっているのですね。
それに気付かず大洗駅の位置確定には惑わされました。
いずれにしても磯浜から大洗まで港町をクネクネ曲がって進む軌道には大変興味深いものがあります。
廃線時の5万分の1地図を元にしてこの一帯の廃線跡を探求するのは楽しいでしょうね。
昭和41年の写真を見て「あ、この場所見覚えが・・・」
と直感でわかっちゃうのっておかしいですか?(^_^;)
平坦地を行く水浜線で背後に山があり街道筋を
横切る場所はここしかなく、資料で裏を取ったら
まず間違いないと思われたので書き込んだ次第です。
ガルパン関連で周辺を延々歩き回ってる最中
水浜線の廃線跡もチェックしていました。
水浜線の廃線跡は大半がそのまま道路化されているので
追いやすいですよ。
残念ながら、マリンタワー北側のカーブから大貫駅跡に
かけては、あと数年のうちに都市計画道路の整備で
面影が消えてしまうそうです。
(現大洗駅から海まで一直線の道路を作ります)
影武者さん
影武者さんがこの仲町停留場跡が判ったのは乗車した経験があるせいなんですね。
私は全く行ったことも乗ったこともないので現在の地図を見ても全く判りませんでした。
また廃線直前の水浜線の軌道線が入った正確な地図が無いので尚更でした。
私はガルパンのことは全く知りませんが、大洗はガルパンの聖地なんですね。
廃止後10年以上後の生まれなので乗車経験は
ないですよ。
廃線跡を訪ねていると風景が大きく変わっていても、
現役時代の面影が意外と残っていたりします。地形は
変わらない事が多いので、現地へ立てばある程度は
わかるようになりますね。
影武者さん
私の早合点でした。
乗車ではなく歩きで見た見覚えある風景でしたね。
水浜線のお写真、圧倒されつつ拝見しております。大洗市内の光景や松林のなかの大洗終点付近など、しびれる光景です。
cedarさん
水浜線は水戸市内を出て漁港町を抜け、松林の海岸べりまで、自然に溶け込んだこの時代の軌道線ならではの風景が良いですね。
自然豊かな田畑の中に埋もれたような線路を行く路面電車の風景、なんていう場面もこれからあります。
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