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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年5月10日金曜日

秩父鉄道の電車

昨年9月にアップしました「熊谷駅の古典電機」で秩父鉄道の電機を紹介したことがありますが、同じ場所で撮った秩父鉄道の電車の画像を集めてみました。

秩父鉄道で1988年に消滅した100形電車と云えば。正面中央窓が幅広でHゴム3枚窓の外観が何の変哲もない電車であったが、写真を撮った1965年の100形をよく見るとマルーンに白帯の旧カラー車が居て、両運転台のモハがクハニ(ユ)と組んだ旧カラーの編成が走っていた。また片運転台に改造された100形の方は新カラーになっていて、後年さらに改造され当時の美しい原形とは別物のようになってしまった。

秩父鉄道100形一族とは(Wikiより)
木造車の鋼体化改造車として日本車輌で製造された。最大時、デハ100形デハ101~113、クハ60形クハ61~67、クハニ20形クハニ21~30、クハユ30形クハユ31の31輌が在籍したが、1988年までに全車両が廃車になった。

100形の編成(クハ60形+デハ100形+クハ60形+デハ100形) 熊谷 1965.05.30 クリック拡大
旧カラー車と新カラー車の編成があり写真は新カラー車で改造後.

旧カラーのデハ100形(112)は美しい姿をしていた. 熊谷
マルーンに白帯の昭和30年代のカラーリング.
旧カラーのデハ100形+クハニ20形

クハ60形(67) 熊谷

500系 1992年全車廃車 熊谷

旧カラー100形の編成はクハニや両運モハの編成で中々の魅力だ.
2両目のモハは弘前電鉄へ行ったデハ52(弘前モハ106)と同形のようだ.

上の後追い

グリーンに塗られた弘前電鉄モハ106.元秩父デハ52で100形より全長が短い.

国鉄八高線と並走するクハニ先頭の100形の編成 寄居

秩父鉄道は国鉄八高線をオーバクロスして別れる. 寄居

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

良き時代の秩父鉄道100形、楽しく拝見しました。
マルーンに白帯は渋いですね。
一部電車が何故弘前に行ったのかとちょっと疑問でしたが、一回り小振りだったんですね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
弘前電鉄の元秩父の電車はマルーンに白帯の秩父100形だとずっ~と思っていました。
ところが16m級と短く100形とは違うのですね。
窓の数以外はそっくりです。
マルーンに白帯のカラーリングは西大寺鉄道のようで、
昭和40年代にはこういう渋いカラーは消えてしまいましたね。
弘前電鉄の渋いグリーン一色もいかにも昔の電車カラーで良かったです。