案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年5月8日水曜日

七夕まつりと家族連れ


オリンパスペンのネガで西馬音内の駅舎が写ったコマの次に七夕まつりが写っていて、てっきり湯沢の七夕と思っていたら、それは仙台の七夕であった。西馬音内の駅舎に写っていた家族連れを見ていると、仙台七夕まつりに写った当時の家族連れを見てみたくなりました。

1964(昭和39)年、日本は東京オリンピック開催、東海道新幹線開業に湧いた年であった。大卒初任給2万1千円、男性の平均寿命67.7才、エアコン普及率1.7%、白黒テレビ普及率87.8%、ハガキ5円等、こんな時代の七夕まつりの光景を見ると一族連れだって出掛ける家族が多かったようで、幼児は母親か祖母に背負われ、その周りに手をつないだ子供達が多いこと。この1964年あたりを境に日本の社会は何もかもが大きく変貌して行った。

仙台「七夕まつり」の中心部「中央通名掛丁」入口.仙台市電 元寺小路  1964.08.08

東一番丁(仙台郵便局前)

仙台「七夕まつり」の家族連れ

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

家族連れからファミリーへ、大家族から核家族へ、
日本の家族の姿は変わりましたね。電車とともに時代を写したお写真が、素晴らしい。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
仙台市電のネガを整理していると七夕まつりがいろいろと写っていたのでスキャンしてみました。
七夕の飾りよりも当時の人々の姿に関心が向きました。
あの頃はまだ核家族になっていなかったせいで今とは人々の風景が違うのでしょうね。