案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年5月24日金曜日

相模鉄道の電機

1964年の2月、小田急で雪の「成城の坂」を撮った直前に国鉄相模線橋本のC11を訪問していた。
雨模様のこの日、橋本へ向かう途中に厚木で見た相鉄の貨物列車はこんな風景で、この前年秋に相模大塚で開催された元小田急1100形見学会で見たあのイモムシのようなED10形であった。


厚木駅を出発し雨煙る中 相鉄貨物線を行くED10形   1964.02.11


厚木~相模国分間の相鉄貨物線
小田急と立体交差する国鉄相模線の厚木駅.ここから出ている相模鉄道の貨物線.

丹沢を背景に秋の厚木~相模国分間を行く   1963.10.20

相模大塚車両基地にいたED10形(12)    1963.10.20

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

厚木、海老名周辺は元々同じ会社だった相鉄と相模線が貨物線でつながり、小田急と絡みあっていて面白い場所でしたね。
当時は小田急と相鉄も線路がつながっていて、朝夕は相鉄が小田急に乗り入れ本厚木まで行っていました。
今やへんてこな商業施設が出来たり、JRにも海老名駅が出来たりと、激変していますね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
海老名と貨物線の間に拡がっていたのどかな田園も今では電車区ができてすっかり変わってしまったのですね。
最近行った事はありませんがネットで見て驚きました。
元々の神中鉄道の時代は珍しい車両が多かったようで、各地に元神中の車両をよく見掛けました。
神中の国内初の電気式ディーゼル気動車なんて興味深々です。