案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年11月6日火曜日

井笠鉄道の春


小平井ー大井村    1967.03.08   クリック拡大
真青な空、心地よい春の陽差し、湖面に映る赤と緑の列車、
勾配を駆け下りてきた軽便の軽やかなジョイント音、
枯れ草に寝転んで目の前を通過する軽便列車を眺めていると
春を迎えた井笠鉄道は正に絵に描いたような光景であった
あれから45年が過ぎる


この井笠のダブルルーフ木造客車は井笠鉄道が廃線後4両が西武山口線へ移籍し、井笠鉄道→西武山口線→西武園内レストラン→2両がまきば線へ引き取られた。1913(大正2)年生まれの木造客車は様々な遍歴を経て間もなく車齢100年を迎える。大変な鉄道文化遺産だ。


6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

井笠鉄道はこの10月いっぱいで倒産処理していますね。私は岡山出身なので残念でなりません。かつて廃止後に新山駅跡の記念館を訪れた事がありますが、良い思い出です。まさか倒産するとは思いませんでした。地方の公共交通はどこもかなり厳しい現状なのでしょうね...。

katsu さんのコメント...

匿名さん
井笠鉄道のバス事業は10月一杯でしたか。
井笠鉄道の会社が消えるのが悲しいですね。
新山駅跡の井笠鉄道記念館の今後が気になります。
井笠コッペル1号機は絶対に生き延びてほしいものです。

chitetsu さんのコメント...

katsuさん
この一枚の写真、涙が出るほど良い情景ですね。
タイムマシンかどこでもドアでこの場所の横に立ちたい気持ちになります。
日本の原風景のような沿線風景に井笠の列車はベストマッチと以前から思っていました。
自分にとって井笠鉄道は一番好きな軽便鉄道でした。
会社解散が大変残念です。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん、ありがとうございます。
何の変哲もない撮り方ですが軽便だと引立ちます。
被写体となる車両に魅力が無くなると様々凝った撮り方が必要になるのかも知れません。
ほんとうに井笠は列車と沿線風景がベストマツチでどこでも絵になるような光景でした。
井笠は何でこんなによく出来ているのだろうと感心させられます。
ベストの軽便でしたね。

鹿ヶ谷 さんのコメント...

chitetsuさんのおっしゃる涙がでるほど、というのもよくわかります。45年前なんですよね。なんかえらく昔のような、たった45年前にこんな光景があったのが信じられないような気持ちがします。蒸機ばかり追いかけず軽便も撮っておけばよかったとつくづく思います。まあ、二兎追いは時間的に無理だったんですが。

今回の写真でちょっとショッキングな発見をしてしまいました。ダブルルーフの側面は緑だったんですね。私は保存されてるホハ1が黒に塗られているのでてっきり屋根と同色だと思ってました。私の井笠風客車のダブルルーフも塗り直さなければイカンかもしれません。

katsu さんのコメント...

鹿ヶ谷さん、
あっという間の45年でしたね。
私が撮った他のダブルルーフ客車を確認しましたがルーフ側面は皆緑でした。
私も改めて見ると緑だったのが意外な感じがしたものです。保存車の影響でしょうか。
それにしても鹿ヶ谷軽便鉄道の井笠客車は実物への拘りがほんと凄いですね。あそこまで細部に拘って作り込むとは驚異です。