国分寺崖線の自然が残された外岡本静嘉堂緑地あたりから南下すると、あの吉沢橋交差点に出る。ここは昔、玉電砧線の踏切があり、その脇が吉沢駅でその先に軌道の鉄橋があった。
子供の頃、兄の蛇腹式セミ判カメラを借りて、ここで砧線を撮ったのが私のカメラ初体験であった。
その後撮った1962(S37)年の光景をスキャンしてみると、激変の砧線そして二子玉川界隈であった。
仙川沿いに遊歩道を歩き南下して二子玉川方面へ。 '10.12.15
吉沢橋交差点。 '10.12.15
昔、手前(二子玉川)から来た砧線は、多摩堤通り(左右に走る)を横切ると
右手角のマンションの前あたりに吉沢駅があった。
その先にあった吉沢鉄橋(軌道専用)は、今は大きな道路の橋になっている。
小さな吉沢鉄橋を渡っていた砧線。道路はなく軌道専用の橋であった。 1962年12月 |
↑ カーブして二子玉川駅に侵入する。右は玉川線本線。
背後の崖が国分寺崖線で等々力方面へ続く。
夕闇せまる玉川線の二子玉川駅。ホームの右に砧線が停車している。 |
右の一段上がったところが大井町線のホーム。
昔の寂しげな駅からは想像もつかない光景に激変した二子玉川駅前。'10.12.15
4 件のコメント:
砧線は廃止1年前くらいに一度撮影に行きました。吉沢の急カーブ用に首振角度の大きい密連を装備した60型の2連はラッシュにしか走らず、二子玉川で昼寝中でした。
構内の写真で後ろに写っている鉄骨は高島屋の建築中の姿でしょうか?
今住んでいるマンションの住人に<昔は大井町線が橋の上を自動車と一緒に走っていた>と話したらうそ~!と哂われました。
二子玉川駅の複雑な新旧位置関係を昭和38年の航空写真(現在の建物も併記)で調べてみました。
これによると玉川線の線路が終わるあたりがその後できたツタヤの位置で、その先に玉川通りらしきが見えるので、線路正面の鉄骨は道路を越えた今のパチンコMax館あたりと想像します。
高島屋はもっとずっと手前で、当時は畑の中でした。
長年玉電の二子玉川駅がどこにあったのか謎でした。非常に興味深いコメントを読ませていただきました。ありがとうございます。
今度二子玉川駅に行った時にツタヤの位置を確認しに行きたいと思います。
ジェットコースターの有った二子玉川園遊園地が懐かしい。
KS45さん
3年前の古い記事を読んで頂きありがとうございました。
自分で書いたものを読み返すのも懐かしいものです。
二子玉川の駅の反対前に大きなビルが建ったり、
あれから3年たった駅周辺は更に変化して昔玉電があった
ところは益々判らなくなつていることでしょう。
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