案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年8月9日月曜日

仙北鉄道 終着駅登米

1964年8月始め、この年の夏はいつもの仲間 iwaさん青蛙さんと3人で、上野19時25分発の常磐線経由の臨時準急に乗り東北私鉄めぐりに向かった。夏休み8月と言えば、上野駅の夜行列車に乗りこむ学生たちは、東北三大祭りや北海道へ向かうのが普通であった。リュックを背負った姿がカニ族と呼ばれた時代。観光地にはまるで縁のない我々の私鉄めぐりの旅は、かなりの変人だったろう。

8月3日花巻電鉄を終え、夕刻に瀬峰へ移動し、駅前にあった農家を改装したような安宿に泊まり、翌朝の一番列車から仙北鉄道を撮り始めた。この日はどんよりした天気で、夏本番とは思えない秋のような涼しい一日であった。

登米行きの列車に乗り、スイッチバックのある米谷を過ぎ、終点登米まで乗車したが、穀倉地帯の沿線風景は余りに単調でがっかりしたものだった。終点登米の駅前は街らしい様子はなく静まり返っていた。登米~米谷間もあまりにも単調で撮影もすぐに引きあげてしまった。
米谷駅では各方面にバスが出るなど、登米よりは賑やかで、列車交換がありスイッチバックを行き交う貨物列車や旅客列車を次々と撮れた。
登米(とよま)駅   1964.8.4

登米ー浅部

登米ー浅部を行く貨物列車

終点登米駅全景
終着駅の車庫
登米駅前の風景  駅舎は今もバスの待合室として使われている

2 件のコメント:

猫が好き♪ さんのコメント...

 仙北鉄道登米線の登米駅ですが、2007年に取り壊されてしまったそうです。
 おれは廃線後なんてもんじゃないくらいに時間があいた1997年に一度だけバスで訪問したのですが、それなりに駅だった時代の風情が感じられたような気がいたしました。しかし改めて調べてみると駅構内は三分割くらいされて道路が新設されており、駅舎も南側が撤去されていて、だいぶん変わっていたようです。

 今だったら無理してでももうちょい時間を取って河川港として栄えたという登米の市街地も見てきたのでしょうが、そんときはまだ町並みとかにはあまり興味がなく、確か駅前通りの食堂で昼飯を食っただけで、そうそうにバスに乗って戻ってしまいました。
 そういうわけで登米の駅は、登米の市街地からみると北西側の端っこあたりで、ちょっと(って200メートルくらいですが)歩かないとあかんかったらしいのです。今では「寺池の武家屋敷」なんつうて観光訴求をしていたりもするらしいです。

katsu さんのコメント...

猫が好きさん。
軽便があったせいか、私も町並みには魅力を感じてしまいます。がしかし当時は全く興味なく軽便が走った土地を見る余裕はありませんでした。もし当時の街並み等を撮っておけば、仙北鉄道の写真も膨らんだでしょうね。