県境の峠を越え新庄に向かって下る頃、昨日からの薄暗い曇天が一変し素晴らしい快晴となった。
夏の太陽が照りつける中、奥羽本線大石田駅で尾花沢線のDB151が牽く列車に乗ったが、
昨日の仙北の軽便がスピード感あったせいか、この列車ののろいこと !
一面の田んぼから、ポプラの高い木の中に入ると直ぐに尾花沢に着いてしまった。
駅前には東京では見かけないキャブオーバ型バスが各方面行きに活躍していた。
この時代、どこでも夏の炎天下で苦にならず撮影できたのは、今の異常な日照りと違って、
まだ優しい日照りの時代だったのだろう。
尾花沢 1964.8.5
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尾花沢駅前には、山形交通のキャブオーバ型バスが何台も |
5 件のコメント:
尾花沢の駅前の様子。よくわかりました。
ここは青蛙も駅の表情をとらえていませんでしたので新鮮な感じです。
拙ブログへのコメントありがとうございます。
早速尾花沢線を調べたら、貴ブログの記事に行き当たりました。こういう鉄道は昭和40年代前半でどんどん消えて行きました。ですから私は東北のローカル私鉄は福島、花巻の電車以外は間に合ってないのでした。
cedarさん
弊ブログの尾花沢線にお越し戴きありがとうございます。
ローカル私鉄は秋保温泉、鉛温泉などこういう温泉行き列車が堪りませんね。
この時に尾花沢で待ち受けていたバスはキャブオーバー式で
映画の場面はもう少し昔だったのかも知れません。
映画を見ると、何もかも消え去った遠い昔に引き込まれるのでしょうね。
大変懐かしい写真です。よくこのような写真がありましたね。感無量です。
この情景時代に我が家が尾花沢駅近くにあり、どこの家でもマイカーなどなかった時代ですから、汽車かバスでの利用が全てで、よく親戚の人たちが時間の待ち合わせに我が家に寄ってくれていました。その当時、尾花沢駅は通称、停車場と呼ばれていて子供らの遊び場のひとつでもありました・・・。
また、子供の頃母から聞いた話では当時住んでいた我が家はその昔駅長が住んでいた家を譲り受けたものだと言っていました。
tagayaさん
懐かしい尾花沢駅の話をありがとうございました。
マイカーがまだ無かった頃の尾花沢のエピソードは情景が目に浮かびます。
この時代の駅は子供達のかっこうの遊び場だったようで他でもよく見掛けました。
尾花沢線は至ってシンプルな路線でしたが、
銀山温泉、花笠踊り、ボンネットバスなどで尾花沢線の風情が膨らんできます。
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