案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月9日木曜日

東野鉄道 昭和14年に消えた区間

県立「なす風土記の丘資料館」で戴いた史跡マップを見ると、1939(S14)年6月に廃線になり1940年に撤去された黒羽~那須小川間の廃線跡らしき細い道路が那須小川に向けて南下していた。地元の人に廃線跡を確認しながらこのマップの細い道路(廃線跡)上を赤でなぞってみました。

廃線跡1

廃線跡である田畑の中を行く細い道は、旧陸羽街道に沿って一直線に走り、ほとんど家並みも何もないところを行き、昔の宿場町の脇をカーブして箒川の鉄橋を渡り小川の町に到着する。廃線後70年経った今も廃線跡の細い道は箒川まで殆ど残っていた。

黒羽方面側の廃線跡と那須の山々。1939(S14)年6月の廃線までここを走っていた。 湯津上近辺

大田原市歴史民俗資料館パンフレットより。


2軸ガソリンカーのキハ10,11(1929年製)や、ボールドウィンが牽く列車がこんな風景の中を走っていたのだろう。


小川方面側の廃線跡。一面田畑の中を一直線に廃線跡がどこまでも続く。 湯津上近辺。

どこまでも一直線に進む廃線跡。なす資料館の裏。

廃線跡2


なす風土記の丘資料館小川館。70年前の車窓にはこんな風景が?

箒川を渡り小川に入ったところ。

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