案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月14日月曜日

葛生のナロー 1

1971(S46)年 1974(S49)年の春、身近な葛生のナロー「住友セメント唐沢鉱山」を撮りに行く。
唐沢原石軌道は葛生の工場と会沢唐沢鉱山を結ぶ3.3㎞の762㎜軌道で、ピストン輸送で原石が運搬されていた。

ピストン輸送の原石列車。 1971.4.25  1974.4.14









背後には石灰で真っ白になった葛生の風景が。

2011年2月10日木曜日

山陽電気軌道 路線図

山陽電気軌道の路線図を下記します。
幡生駅を発車した彦島口行きは、唐戸を通り下関駅前から更に彦島口まで向かいます。


東下関駅~幡生駅  2.2km (幡 生 線)
唐戸~東下関駅  2.3km (市 内 線)
下関駅前~長府駅  11.7km (長 関 線)
彦島口―下関駅前 1.4km (大和町線)


専用軌道から併用軌道へ入ったところ。  1967.2.27


市内から来た電車が東下関駅に到着する。
511~515は元三重交通神都線のモ511形。

2011年2月6日日曜日

流山電気鉄道

1962(S37)年3月撮影の竜ヶ崎線のネガをスキャンしていると、なんとも奇麗な貨車が出てきました。それがこの流山電気鉄道ワフ31です。この貨車の素晴らしさに惹かれて、昭和38年の流山電気鉄道をスキャンしてみました。

流山電鉄ワフ31  流山 1962年3月
昭和25年自社製のワフ。車輪径が大きく見えるのは車体が小さいせいであろう。


流山の車庫  1963.3.31
車庫の奥には元単車ガソリンカーのサハ31やサハ32(廃車体)を見る事ができた。


背後に林が拡がる静かな流山駅

相変わらずのんびりとモハ100形(旧南武鉄道)が走っていた。 モハ101 


クハ52+モハ102

馬橋駅

2011年1月31日月曜日

霞ヶ浦の湖畔 4

関東鉄道鉾田線。
霞ヶ浦湖畔の桃浦へ向かう前に覗いてみた朝の石岡機関区。
そこには様々な流線形の気動車が休んでいた。機関区の奥にはクラウスのSLが留置され、そして鹿島参宮鉄道スタイル?の竜ヶ崎線の僚機の気動車も見ることができた。
ホームで出発を待つ気動車は可愛い「びわこ」型と、楽しい車両が揃った鉾田線であった。

石岡駅と石岡機関区。   1966.8.28

びわこ型 キハ201


キハ40401とキハ42503。   42503は改造されて後のキハ601へ。


キハ40401。 竜ヶ崎線で見た40402と同型。


2両いたクラウスの内、1両(4号機)が機関区の奥に留置されていた。 

2011年1月30日日曜日

霞ヶ浦の湖畔 3


小川高校下 - 桃浦   1966.8.28

小川高校下 - 桃浦  1966.8.28


小川高校下 - 桃浦     1966.8.28  

小川高校下を出発し桃浦へ向かう気動車は暫く田畑の中を一直線に進み、霞ヶ浦の手前を左にカーブし湖畔の水ぎわを走っていた。
41年ぶりに訪れた湖畔の風景は護岸工事で変ってしまったが、岸辺に木がある風景は、あの時の木 (画像最上段) が大きくなったのだろうか。時代が変わり車両や湖畔が変われど、鉄道沿線の素晴らしさは変わっていなかった。春になったら廃線跡を歩いてみたいものだ。

小川高校下 - 桃浦  2007.3.8


2011年1月27日木曜日

常総筑波鉄道 筑波線

常総筑波鉄道は昭和40年6月に鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道になったが、その数年前に訪問した常総筑波鉄道時代には個性ある気動車が活躍していた。真鍋の車庫にはあまりに古すぎて正体不明な車両も居たがこの直後に消えてしまったようだ。

初めてこの筑波線に乗ったのは上野から国鉄客車に乗って筑波山へ遠足に行った時であった。その時に交換駅でみたツートンカラーの元国鉄40000形に惚れこんだが、その隣の何やら小さな窓のブサイクな気動車が妙に印象に残っていた。
何年か経って撮影に訪問すると、土浦駅でブサイクな気動車キハ305に出会えて感激し、好みはすっかりキハ305に変わっていた。このキハ305の経歴は判らないが松井車両のようないかにも田舎ガソリンカーといった堪らない魅力を感じる。

これぞ筑波線のキハ301が活躍していた。     真鍋    1962年3月

真鍋機関区の風景。 大型のキハ401(播丹鉄道の国鉄買収車)

301に較べて一段と窓が小さく、強烈な個性溢れるキハ305。   土浦


キハ311 (元国鉄キハ40009)   真鍋
ホハフ201

ホハ312 真鍋

こんな自動車がまだ動いていた時代。 真鍋

機関庫の中には巨大な7号機が鎮座していた。 真鍋
1924年汽車製造製の名機1C1形タンク

2011年1月24日月曜日

東武鉄道 熊谷線

1983(S58)年6月に廃線となった東武熊谷線(妻沼線)。高崎線熊谷から利根川の手前 妻沼まで走っていた。一体いつここを訪問したのか、乗車券を見ると昭和56年7月18日で廃線2年前であった。1960年代はとっくに過ぎ、もうこの頃は地方私鉄を撮りに行くことはなく、たまに車で近場を撮りに行く程度であった。

熊谷線は大変地味な東京近郊の路線で、話題になることも少なかったようだ。車両も沿線風景もファンにとっては実に単調な鉄道で、こうして画像を並べてもアクビが出てくるような刺激のない鉄道であった。
ここの東武キハ2000形3両は、鹿島鉄道の人気者キハ431と432(元加越能)と同型とのことだが、これと較べ東武キハが全く人気がない理由は、カラーリングと2灯式ヘッドライトにあったようだ。
ブタ鼻(ライト)の白ブタとは良く言ったもので、カラーリングでももう少し配慮されれば、もっと注目されたことだろう。
変色前の切符

畑の中を行く2連のキハ。  実物はもっと黄色がかったクリーム色だった。 1981.7.18

畑が連続する沿線風景。

画像追加: 妻沼駅の木立
駅前には東武交通労働組合の熊谷線廃線反対の看板が。
駅前には商店が数件あるだけで中心街から離れていたようだった。

車庫の内部。
妻沼の機関区。利根川の土手がすぐそこに。
利根川に向かった線路がこここで途切れ、その先に
利根川を渡る計画だった築堤が残っていた。

2011年1月23日日曜日

中千住駐泊所

前回アップした「業平橋の貨物ヤード」、Cedarさんからご指摘があり、貨物ヤードの場所が間違っていました。申し訳ありません前回の表示を訂正させて戴きました。
営団日比谷線の高架が見える場所は、北千住~牛田間にある貨物ヤードで、その脇にあったのが中千住駐泊所でした。ネルソンは中千住駐泊所がある貨物ヤードと、業平橋の貨物ヤードの間を往復していて、前回の写真はそれを追いかけたものでした。

64号機  中千住駐泊所 1963.3.25

64号機  中千住駐泊所


63号機


63号機  中千住駐泊所


63号機  中千住駐泊所

2011年1月21日金曜日

業平橋のネルソン

今話題の東京スカイツリーと言えば、東武鉄道 業平橋のことが思い出される。
1963(S38)年3月、こんな身近な業平橋と中千住駐泊所がある貨物ヤードを往復する、名機ネルソン(元国鉄6200形)の東武63,64号機をまだ見ることができた。この直後に63号機は廃車解体され、翌年に64号機が杉戸機関区で廃車された。この風景の半年後、貨物ヤード 業平橋の一角には廃車になった大量のネルソン、ピーコックが集結されていた。

63号機   中千住駐泊所  1963.3.25

64号機

64号機


業平橋にあったSL機関区。 中千住駐泊所

駐泊所があったところ。  2011.01.27