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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月6日日曜日

流山電鉄

1962(S37)年3月撮影の竜ヶ崎線のネガをスキャンしていると、なんとも奇麗な貨車が出てきました。それがこの流山電鉄ワフ31です。この貨車の素晴らしさに惹かれて、昭和38年の流山電鉄をスキャンしてみました。

流山電鉄ワフ31  流山 1962年3月
昭和25年自社製のワフ。車輪径が大きく見えるのは車体が小さいせいであろう。


流山の車庫  1963.3.31
車庫の奥には元単車ガソリンカーのサハ31やサハ32(廃車体)を見る事ができた。


背後に林が拡がる静かな流山駅

相変わらずのんびりとモハ100形(元南武鉄道)が走っていた。 モハ101 


クハ52+モハ102

馬橋駅

8 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

私の父と弟がほぼ同じ頃に流山に出かけています。駅の後ろの丘の様子もほぼ同じですね。私が昭和48年に行ったときにはすっかり変わり、木々の代わりに家が覆いかぶさっていました。南武100形はこの線にぴったりの電車でしたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、
昭和37年の訪問は同じ頃でしたね。
この頃は、まだ流山を撮りに行く人は珍しかったと思います。
この後の10年は大変な変貌であったと思いますが、写真で見た車両は昔の雰囲気がまだ残されていますね。

丸井太輔(たすけ) さんのコメント...

はじめまして。
たまたま、流鉄の鉄道の日ということでブログ記事を書いておりました。
3枚目の駅舎と4枚目の飛地山の崖...とても懐かしく拝見致しました。

記事中の最後にリンクを貼らせて頂いたのですが、図々しいお願いで恐縮なのですが、3枚目と4枚目の写真を拙ブログの記事中に拝借しても宜しいでしょうか?

サイズ制約の為、少し縮小して使わせて頂くようになりますが、何卒ご了解頂ければ幸甚です。

katsu さんのコメント...

丸井さま
幅広いカテゴリの素晴らしいブログを拝見させてもらいました。わざわざリンクの連絡をありがとうございます。

画像の件了解しました、どうぞお使い下さい。
この時代の風景は何もかもが長閑でしたね。
私の脳裏に残る流山は昔のままです。

たすけ さんのコメント...

katsuさん
ありがとうございました。
最後6枚、現在の流山駅付近を足しました。
でもやっぱり、私にとっても流山線と流山駅はkatsuさんが残して頂いた風景です。

匿名 さんのコメント...

昭和56年生まれの私、昭和30年生まれの父親共に楽しましていただきもした、父の時は赤城でした、私が中学生の時には元々の流山町の家なんて、加台とか平和台の後から来たヤツラに
[ボロ家~]
とからかわれていましたわ

cyclist_maki さんのコメント...

懐かしいです。
2番目の写真、車庫ですが、私の父がこの会社で働いていました。
私はこの車庫のある従業員用の宿舎で生まれました(生まれた時は病院ですが^_^)
その後すぐに近くの家に引っ越しましたが
写真中央の小屋は風呂場で
1956年ころまではその小屋で風呂に入ってました。
これらの写真はとても懐かしいものばかりです。

katsu さんのコメント...

cyclist_makiさん
コメントありがとうございました。
子供の頃の遠い昔の思い出が写真に写っていたコメントを戴くと、
あの時代を撮っておいて良かった! 大変嬉しく励みになります。
これまでに流山電鉄は子供の頃の思い出がいくつかコメントが入っていました。
東京近郊でとても身近な鉄道であったわけですね。

写真の中央にある小屋が風呂場でしたか。私も子供の頃、父の職場(工場)の従業員風呂に入ってました。
まだ家にフロが普及してなかった時代で、そんな時代のほろ苦い思い出が忘れられないです。
早速、思い出が詰まった2番目の写真を大きくしてみます。