撮影 W:和田 K:風間
東北本線の瀬峰駅前。1964.8.4 (W)
国鉄駅前などは滅多に撮らないもので、貴重な画像だ。パチンコホール、駅前旅館など、どこにでも見られた駅前風景。確か写真の左手にあった駅前旅館に泊まったが、農家を改造したような旅館をなぜ撮らなかったのか悔やまれる。改札を入ると跨線橋を渡った先に仙北鉄道のりばがあった。
8月4日、花巻を出て夕方6時半頃、瀬峰に到着し仙北鉄道の車両を横目に階段を上り瀬峰駅前に出た。駅前には宿が3軒ほどあったが、どれも粗末で凄い宿ばかりであった。ここでも食事付き1泊600円の宿に泊まった。なんとなく沼尻の川桁駅前の宿と似ていて農家を改造したような旅館であった。これまでの宿であらゆる点で最低ランクに近かった。夕食後、街中を歩いたが寂しい街で何もなく、どの建物も薄汚い感じであった。翌日、夜行で青森へ向かう予定であったが車中泊が嫌になって、結局この瀬峰の駅前旅館に2泊することになった。ほんとうは世間一般と同じようにのんびりと観光の旅をしたかった。
7 件のコメント:
当時の地方の旅館には凄まじいのが時々ありましたね、でも時が経ってみると『リアリズムの宿』こそ妙に懐かしかったりします。
本題とずれたコメですみません。
Cedarさん
時が経ってみると・・・その通りです。
あんな凄い世界を写真に記録しておけば今どれだけ楽しめたことか。
車両写真撮るなら、フィルムを貴重な被写体に使うべきでした。
これらを撮る意識が全く無かったです。
瀬峰駅前の記録をヒモ解いてブログに追記してみました。
ギリギリですが、同じような宿に泊まった事があります…w
90年代に入っていましたが、1泊3000円で朝食付きでしたが…付いてきた玉子の黄身が真っ平らでした。そのせいかわかりませんが、後で少しお腹に来ました…。
駅前の風景、やっぱり今でこそ貴重な記録になったわけですが、何の変哲もないものが今となっては懐かしいですね。
2枚目の「バタ臭い」気動車も、精一杯の洗練って感じがします。
田舎の駅前とのコントラストが楽しいです。
esehokuさん
駅前旅館は今ならビジネスホテルですね。
50年前の安宿がどこかに残っているとしたらきっと綺麗になっていることでしょう。
90年代で朝食付き3000円はたぶん格安の部類なんでしょう、生卵は厳禁です。
50年前に1泊2食付600円でどんな食事が出てきたか私は全く覚えていませんが、
花巻駅前で600円のそこそこの宿は食事も大満足でした。
夕食が出前だったり、フロが五右衛門風呂だったり駅前旅館は話題が尽きません。
こんにちは。
社会人になった間もない頃、登米の古い洋風建築と登米駅を見るために瀬峰駅の駅前旅館に泊まったことがあります。1998年くらいの事だと思います。
少し遅めの到着だったので、朝食のみいただきました。鯖の切り身が大きくて美味しかった印象があります。
たしか駅前の小さなパチンコ屋さんもあったような記憶もあります。
バスで登米に向かうときは、運転手さんが私をマニアと思ったのだか、運転手さんの方から話しかけてきました。米谷駅の位置などを細かく教えてくれました。
それから、2002年頃花巻で仕事をしたこともあります。私の職場の公用車の運転手さんが花巻電鉄の運転手さんだと伺ったのですが、多少アクのある方で話しかけられないままになりました。
地元ならではの話を伺ったのですが、当時の花巻電鉄の社長さんはとても良い方で、電鉄も大事にしていたとのことです。しかししょっちゅうストライキを打ってくる組合に嫌気がさして手放したと伺いました。
手放した先が岩手中央バスなのでしょうか?もっとよく話を聞いておけば良かったと思います。
U-BOATさん
1998年頃の時代はそんな昔とは思ってなかったのですが、
よく考えてみればもう20年も昔のことですね。
その頃も瀬峰の駅前に旅館がありましたか。
登米は歴史ある街のようですね。
今では登米駅の跡は消滅してしまったと思われます。
駅舎がバス待合室に使われていた有名な話がありましたが、
保存して欲しかったものです。
仙北鉄道は全てがきれいサッパリ消えてしまったのではないでしょうか。
嗚呼、なんと良い風景か。
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