クレジットカードも普及していなかったこの時代、タクシーで現金以外に出しそうなものって何でしょう。切手印紙類?食料品などの現物?
影武者さんせまい社会で地元顔見知り客は飲み屋の「つけ」のごとくで乗れたのではないでしょうか。まだまだクルマも少ない時代にこんな田舎でタクシーとは驚きます。
しかし思うのですが…この時代の駅って、軽便なので「小さい」のは当然なのでしょうけど、小さいながらも、駅舍と言い構内と言い車両と言い、すごく立派で凝っていたり、人のための思い入れが感じられたり、それが不合理な作りをしていても、愛着を持って使われていたり…。今回の栃尾線の画像も、それをひしひしと感じます。
esehokuさん栃尾線は小さな軽便だけど立派でした。垂直カルダン、総括制御、自動連結器、CTC、新工場建設など様々な近代化を遂げたものの小さな軽便サイズゆえに不合理でした。また不合理ゆえの滑稽さがありました。あの近代化は生き残りのためのお客サービス向上の思い入れだったのでしょう。
なるほど、つけねぇ・・・。そこで敢えて現金でと強調しているところを見ると、踏み倒した客でもいたのかな。(笑)栃尾線の手入れの良さは写真からでも十分に伝わってきます。軽便としては厚いバラスト、狂いのない線路、後年行われた相次ぐ近代化。最末期の蒲原鉄道あたりと比べてもはるかに上等な設備と車両を持っていたのでは。改めて見ると本当に廃止されてしまったのが惜しい鉄道です。
影武者さんクルマ社会にのみ込まれて消えたほんとうに惜しい軽便鉄道でしたね。それが今になって地方都市で民鉄路線が活用されたり、ライトレール新設が計画されたりと面白くなってきました。日本の高度成長期に将来のクルマ社会の弊害なんて何も考えなかったのでしょう。そして現在進めている計画は50年後をどう考えているのでしょうか。
新潟県長岡市袋町が父の実家でして僕が子供の頃毎年夏休みには祖母の家に連れて行ってもらったものです。栃尾線袋町駅には国鉄との共有区間があり子供心に「何でレールが三本あるんだろう?」又、バスで寺泊に海水浴に行くとき長岡線のレールが残っていて「何で走っていないの?」と疑問に思ったのが僕の鉄道趣味の原点です。栃尾線は全線乗っていませんが悠久山線は従兄弟たちとプールに行くのによく乗りました。家族旅行の往復には181系とき、急行佐渡、夜行臨時はEF58が牽いていました。踏切で飽きもせず貨車の両数を数えたものです。
小林秀之助さんコメントありがとうございます。栃尾線袋町の想い出をありがとうございました。袋町駅に三線式レールがあったとは知りませんでした。子供の頃、毎年夏休みに親戚訪問などの体験は鉄道趣味の原点になることが多いような気がします。私も普段見る小田急以外の鉄道を見るのはそんなチャンスしかなかったので強烈な印象でした。地方私鉄めぐりでは懐かしい旅の国鉄列車を何も撮らなかったので悔しい想いをしています。
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8 件のコメント:
クレジットカードも普及していなかったこの時代、タクシーで現金以外に出しそうなものって何でしょう。
切手印紙類?食料品などの現物?
影武者さん
せまい社会で地元顔見知り客は飲み屋の「つけ」
のごとくで乗れたのではないでしょうか。
まだまだクルマも少ない時代にこんな田舎でタクシーとは驚きます。
しかし思うのですが…
この時代の駅って、軽便なので「小さい」のは当然なのでしょうけど、小さいながらも、駅舍と言い構内と言い車両と言い、すごく立派で凝っていたり、人のための思い入れが感じられたり、それが不合理な作りをしていても、愛着を持って使われていたり…。
今回の栃尾線の画像も、それをひしひしと感じます。
esehokuさん
栃尾線は小さな軽便だけど立派でした。
垂直カルダン、総括制御、自動連結器、CTC、新工場建設など様々な近代化を遂げたものの小さな軽便サイズゆえに不合理でした。また不合理ゆえの滑稽さがありました。あの近代化は生き残りのためのお客サービス向上の思い入れだったのでしょう。
なるほど、つけねぇ・・・。
そこで敢えて現金でと強調しているところを見ると、踏み倒した客でもいたのかな。(笑)
栃尾線の手入れの良さは写真からでも十分に伝わってきます。軽便としては厚いバラスト、狂いのない線路、後年行われた相次ぐ近代化。
最末期の蒲原鉄道あたりと比べてもはるかに上等な設備と車両を持っていたのでは。改めて見ると本当に廃止されてしまったのが惜しい鉄道です。
影武者さん
クルマ社会にのみ込まれて消えたほんとうに惜しい軽便鉄道でしたね。
それが今になって地方都市で民鉄路線が活用されたり、
ライトレール新設が計画されたりと面白くなってきました。
日本の高度成長期に将来のクルマ社会の弊害なんて何も考えなかったのでしょう。
そして現在進めている計画は50年後をどう考えているのでしょうか。
新潟県長岡市袋町が父の実家でして僕が子供の頃毎年夏休みには祖母の家に連れて行ってもらったものです。栃尾線袋町駅には国鉄との共有区間があり子供心に「何でレールが三本あるんだろう?」又、バスで寺泊に海水浴に行くとき長岡線のレールが残っていて「何で走っていないの?」と疑問に思ったのが僕の鉄道趣味の原点です。栃尾線は全線乗っていませんが悠久山線は従兄弟たちとプールに行くのによく乗りました。家族旅行の往復には181系とき、急行佐渡、夜行臨時はEF58が牽いていました。踏切で飽きもせず貨車の両数を数えたものです。
小林秀之助さん
コメントありがとうございます。
栃尾線袋町の想い出をありがとうございました。
袋町駅に三線式レールがあったとは知りませんでした。
子供の頃、毎年夏休みに親戚訪問などの体験は鉄道趣味の原点になることが多いような気がします。
私も普段見る小田急以外の鉄道を見るのはそんなチャンスしかなかったので強烈な印象でした。
地方私鉄めぐりでは懐かしい旅の国鉄列車を何も撮らなかったので悔しい想いをしています。
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