案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年1月31日土曜日

国鉄DF50のこと

志摩線賢島のハーフサイズフィルムの片隅にこんな風景が写っていました。
賢島のあと那智観光して一泊、その翌日南紀小私鉄に向かう途中の紀勢本線です。

まずカメラを向けることがなかった国鉄DF50は今となると貴重な1枚です。
中央本線の夜行準急「穂高」や山陰本線他、全国いたるところでこの列車に乗った筈なのに、どんな牽引機なのかまず見ることはなかったDF50でした。

紀勢本線 DF50旅客列車.ここは紀勢東線と紀勢西線の接点となる新宮でしょう.1964.07.09
紀勢本線で夜行列車を利用したこともあった.

紀勢本線の車窓 串本

磐梯山を背にした磐越西線DF50   川桁  1963.01.03

2 件のコメント:

狂電関人 さんのコメント...

katsuさま

久しぶりにコメントさせていただきます。
磐越西線での貴重なDF50の写真に目が留まりました。
お写真を見比べると、63年1月の磐西では茶、
64年7月の紀勢線ではオレンジ&グレーと塗色が異なり、
この1年半の間に変更されたのでしょうかね?!

katsu さんのコメント...

狂電関人さん
モノクロ写真からよくDF50のカラーリングの変更に気づきましね。
DF50が茶色からオレンジ/グレーに変わったのは1963年だそうです。
磐越西線の川桁で撮った年に変更になったんですね。
その翌年に南紀で見たDF50がオレンジ/グレーだったとは今初めて知りました。
DF50もいろいろと面白い話があるようですね。