案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年1月28日水曜日

志摩線の賢島へ向かう 5

2010年5月にアップしたことがある「志摩線 伊勢志摩を行く荷物室付電車」を、数枚の写真を再利用してリニューアルします。

鳥羽からモニ554 + モニ562に乗って賢島に到着したのは夕暮れ。その日の宿は駅近くにある国民宿舎「賢島ロッジ」でここが大学鉄研夏の合宿集合地であった。賢島ロッジに1泊し英虞湾観光、更に1泊し那智観光という鉄研日程であったが、賢島では一人はずれて志摩線沿線を撮り歩き身勝手な行動をしてしまったようだ。
那智観光の翌日は南紀~和歌山界隈の小私鉄を撮り歩いたが、小私鉄では戦後まで生き延びた車両が次々消えて行った時代で、この時の数年の差が余りにも大きい。

モニ554 + モニ562  賢島 1964.7.6
1964年の夏の夕方、勤めを終え鳥羽方面へ帰って行く乗客で荷物室まで超満員。風光明媚な賢島の夕暮れ時を素晴らしい電車が行く。モニ554 + モニ562 この電車は同じ三重電鉄の軽便松坂線のモニ202とそっくりで、軽便をそのまま大きくした感じであった。

モニ554 + モニ562 賢島はこんな風景であった.

国民宿舎「賢島ロッジ」から英虞湾を見渡す
パンタの位置から賢島(手前側)に渡るところと思われる.

賢島駅のモニ561形(561、562)は、551形(553、554)と仕様が異っていた.
こんな単線の駅がその後堂々たる5線の賢島駅になった.

モニ561形561には楕円窓がついていた.船津 不明  1964.7.7

 賢島駅の先に真珠港まで延びていた貨物線.

賢島駅の下の港から出ていた英虞湾めぐり船
湾内の真珠養殖
ここはどこなんでしょうか? 手前に見える食堂「東洋一」は今も大王埼の燈台近くにありますが、写真の海岸線と岬が大王埼と一致しません?

昔写真を撮ったのは灯台のところではなく大王埼のこの辺りでした。
Google画像は消去しました。

10 件のコメント:

影武者 さんのコメント...

賢島周辺も変化が激しいですね。真珠港貨物駅は既になく、ホーム停車中の電車の背後に見える小山が現在の賢島駅。
昔日の面影は全て消え去った・・・と思いきや、なんと昭和4年開業当時からの駅舎が今も残っているんですね。
駅舎としての利用を終えてから完全改装されているため、見た目には古さを感じなくなっていますけど。駅前通りの真正面に位置する三角屋根が、かつてここが駅だった事を伝えています。

katsu さんのコメント...

影武者さん
現在の賢島駅は背後に見えるあの丘の上でしたか。
昔の駅と新しい駅でこれほど高低差があるとは思いもよりませんでした。
旧駅舎の位置を見れば、いかに高い位置に今の駅があるか分かりますね。
ほんとうに立派な駅ですが、これに見合う観光客が近鉄電車に乗ってやって来るのでしょうか。

匿名 さんのコメント...

最後の写真ですが、大王崎で間違いありません。灯台の少し北辺りから西を向いて撮られたものと思います。台地の向こうには海が広がっているような錯覚を受けますが、実際には海ではなく空なので地形と合わないと思われたのかもしれませんね。この風景は今もほとんど変わっていないと思います。

katsu さんのコメント...

匿名さん、ありがとうございました。
謎が解けました。
現在、灯台のすぐ下に和食「東洋一」があるのでそこから撮ったものと思い込んでいました。
改めてGoogle地図を見ていたら大王埼から眺めた写真が1枚あり、
50年前とズバリ一致しました。
ご指摘の通りでした。
灯台の下ではなくずっと先の大王埼から撮ったのですね。
今もあの食堂東洋一の建物も残っていて
確かに風景は50年前とほとんど変わっていませんね。

匿名 さんのコメント...

以前から度々拝見しておりましたが、今回初めてコメントさせていただきました。お役に立てて幸いです。
父の郷里が鳥羽でしたので、小学生の頃(50年前)から志摩線に親しんできました。黄と緑の電車がマルーンに塗り直されたと思っているうちに、特急が行き交う路線に「昇格」。でも当初は京都線特急から格下げされた旧奈良電の車両がローカル運用に就く等、珍しい車両をいろいろ見ることができました。今はそれも懐かしい思い出です。

伊豆之国 さんのコメント...

私が近鉄志摩線に初めて乗ることになったのは、18年前の春。初日は満開の吉野の桜を見て、赤目四十八滝の近くの宿に一泊。翌朝に伊勢へ直行、20数年ぶり2度目の伊勢参宮の後、近鉄特急で志摩半島へ。鵜方で降りて、タクシーで岬巡り。四角い灯台の安乗崎を見て、大王崎にも立ち寄り、灯台の中に入って上に登った記憶もあります。岬への道筋には土産物屋が立ち並び、石段になっていたところもあって、江ノ島にも似たような雰囲気の場所もあったことを記憶しています。帰り際に、夕暮れ迫る英虞湾を眺めて、既に堂々たるターミナルになっていた賢島から、当時最新鋭だった「伊勢志摩ライナー」で名古屋に戻っています。
その頃の志摩線は、既に特急も多数走る観光路線にすっかり変身していた後だったのですが、鳥羽の市街地は相変わらず狭い街中を単線で急カーブが残り、長い編成の特急電車も身をくねらせてノロノロと走っていて、この辺りの沿線風景も、やはり江ノ電を思わせるような風情が残っていたのでした。

chitetsu さんのコメント...

志摩線の合造電車、良いですね。
こんな電車にたくさんのお客さんが乗って走る時代の風景と言うのは見ていて心が和みますね。

katsu さんのコメント...

匿名さん
50年前に撮った志摩観光の風景はどれもこれも記憶になく、撮った場所が判明すると、こんなところへ行ったかと不思議な気がしたものです。

三重電鉄志摩線が変貌していく過程で、改軌されてから旧奈良電の元特急車両が走っていた頃があったとは全く知りませんでした。近鉄特急に隠れたこの頃のローカル運用の珍しい車両が面白そうですね。自然豊かな観光地に立派な特急が走り、立派な道路に車が流れる風景に驚きました。

katsu さんのコメント...

伊豆乃国さん
志摩線の鵜方で下車して岬めぐりは昔も今も定番コースのようですね。私が何で鵜方の駅を撮ったのかは大王埼めぐりコースの途中であったようです。
今の近鉄志摩線で鳥羽の市街地の急カーブを行くノロノロ運転がyoutubeを見てよく分かりました。三重電鉄時代にはここが港町風景の撮影名所だったと思います。志摩線が海沿いを走る名所は賢島ではなく鳥羽だったのですね。三重電鉄時代に海沿いに家並みの間をカーブして走る江ノ電のような風景を撮ってみたかったものです。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
志摩線はあの荷物合造電車に尽きますね。
時代は昭和30年代後半、クルマ社会到来の直前で電車や駅は乗客で賑わう。
曲がりくねった港町を走るツートンカラーの田舎電車。
志摩線はchitetsuさんの心象鉄道にピタリと思います。