案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月28日月曜日

小海線 夏の思い出

小海線と言えばC56、そして夏の賑わい。C56は高原の人気物であった。

佐久海ノ口  1971.08.14

清里駅のC56

清里の賑わいとC56   1971.08.15

清里駅のC56

道路に人と車が溢れた撮影ポイント. 清里 - 野辺山  1971.08.14

野辺山  1971.08.15

2 件のコメント:

Namiki さんのコメント...

まさしく“ディスカバージャパン”の時代風景ですね。ほぼ同時期に小生も撮影に行きましたが、いわゆるアンノン族が溢れ、車中で短パン姿の女性グループといっしょになると、それだけでドキドキして顔を上げられず対向列車を写し損なったりしたものです。

できるだけそんな女性たちが写りこまない様にと、あの喧噪の中で必死にアングルを探したのも良い思い出となっております。しかし、当時、交博の某例会ではアングルに苦労したSL写真よりも、女性たちが写っている写真の方がやんやの喝采でありましたが・・・

katsu さんのコメント...

Namikiさん
あの頃はディスカバージャパンでしたか。
1970年スタートしたこの国鉄キャンペーンはSLブームと相俟って新時代到来だったのですね。
1960年代で撮影も終わりにした私達には夏の小海線に眩しいものがありました。
そうそう、私も小海線の車内に溢れた若い女性達が輝いていたことを今でもハッキリ覚えています。
にわかSLファンになって小海線のC56を撮り行ったものの、撮影ポイントも知らずロクなものは撮れませんでした。
写真の1971年夏は清里の駅前に民宿が増えてきて清里が変わり始めた頃だったと思います。
小海線はC56のことよりあの夏の賑わいが懐かしく想い出されます。