案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月20日日曜日

鹿島鉄道 石岡機関区

次に石岡を訪ねたのは1966年から41年が過ぎた2007年春のことであった。
関東鉄道鉾田線は鹿島鉄道に変わり、当然昔の車両は殆ど入れ替わっていたが石岡機関区がある石岡駅の佇まいは昔のままであった。そしてあの機関区の建屋も外壁や屋根が張替られていたが形状は昔のままであった。

あの頃のびわこ型や元東横キハが居なくなり、平成になってKR500形気動車4両が入線したくらいしか鹿島鉄道のことを知らず関心もなかった私は、その後魅力的な気動車が入線していた事に全く気付いていなかった。沿線風情を含め鹿島鉄道の素晴らしさ気付いたのは廃線まじかの2007年春の石岡訪問であった。

夕方の石岡機関区. 2007.03.08
機関区の建物は改装されているものの昔のままであった.
奥の昔機関庫があったところにキハ431+432が休んでいる.

朝の石岡機関区.   2007.03.08
この頃の朝はいつも金太郎塗りキハが待機していた.

朝の石岡構内.   2007.03.08
手前には元夕張のキハ714がいた.



静まり返った朝の石岡構内. 2007.04.01

これも朝一の石岡機関区と石岡構内を撮ったものだが金太郎塗りキハ431、432そして元夕張キハ714はもうここには居ない.肌寒い昨夜遅くのラストラン喧騒が終わって一夜明けた朝の様子で、天候は一変し春の陽を浴び桜の蕾膨らむ構内は静まり返っていた。昨夜のラストランで鉾田へ向かった金太郎塗りキハ431、432はそれっきり石岡に戻って来ることは無かった。 そして元夕張キハ714も居なくなっていた。
前日のラストランの喧騒 2007.03.31

桜の蕾が膨らんできた頃、役目を終えた石岡機関区.  2007.04.01

石岡機関区の桜と、とり残された車両.
左のキハ602(元国鉄07形)と奥のKR500形何両かは石岡構内で解体された.

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