案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月26日土曜日

鹿島鉄道 気になったキハ714

梅が咲き始める頃 八木薪を行くキハ714. 浜 - 八木薪 2007.03.28

銀色の屋根を光らせて通り過ぎたキハ714.    浜 - 八木薪 2007.03.28

霞ヶ浦湖畔を行くキハ714.     2007.03.28

1976年に夕張鉄道の廃止により転入してきたキハ714は昭和28年新潟鐵工所製で、正面2枚窓湘南型と側面のバス窓は昭和30年頃前後の気動車によく見られたスタイルをしていた。
加越能から転入してきた全長短いキハ430形は昭和32年東急車両製でこれとよく似ていたが、正面の顔は714形の方がずっと美形であった。最後の頃のキハ714は側面の大きな週刊誌広告がちょっと残念であったが。

常磐線のホームから鹿島鉄道のりばを見るといつもキハ714が目に入った. 2007.03.08

石岡構内でいつもここに休んでいたキハ714. 2007.03.08
側面の週刊誌広告『週刊の怪物Gallop』とは産経新聞社の競馬週刊誌のことであった.


最終日に乗ったキハ714

キハ714 最終日の走り. 榎本 - 玉造町  2007.03.31

最終日の夜20:30には石岡にいたキハ714.    2007.03.31

2 件のコメント:

C6244 さんのコメント...

通常、ラッピング広告車両は人目に付くように多運用に入るものですが、714はワンマン仕様ではないので、イベント用として月にわずかに稼働する程度でした。これなら広告としての意味がないのに、鹿島鉄道は最後まで広告を外しませんでした。貴重な車両だけに残念でしたね。

katsu さんのコメント...

C6244さん
あれほど魅力的な気動車キハ714に広告がほんとうに残念でした。
確かに普段めったに走っていないのに、最終日が迫る頃は霞ヶ浦風情の沿線を走りすっかり魅了されました。
週刊誌広告の気動車なんて言われていましたが、今も広告をつけたまま保存されているようですね。
機会があれば見に行きたいものです。