金子駅から東飯能に向かうと、入間市の台地から飯能市へ下る金子の坂がある。うっそうとした丘陵地帯を下り、なだらかなカーブを左へ向かうと飯能市の桑畑や池のあるのどかな平地に出てほっとしたものだった。
青梅線拝島から高麗川(日高市)のセメント工場まで石灰石を運ぶD51貨物列車が走る平凡な八高線沿線風景の中で、この区間だけは変化ある風景であった。蒸機の中では平凡なD51であったが手軽に行けて蒸機の撮影が楽しめる八高線であった。
金子の坂の下に飯能市の平地が開ける. 1966.03.27
炎天下、金子の坂を登るD51重連貨物列車. 1966.07.28
石灰石輸送列車が金子坂を下り高麗川へ向かう. 1966.07.28
うっそうとした丘陵地帯の金子坂. 1966.07.28
桑のある畑や溜池がある飯能の平地. 1966.03.27
たまにC58の貨物列車も見る事ができた.
たまにC58の貨物列車も見る事ができた.
2 件のコメント:
八高線の金子~東飯能界隈は電車好きの私もい何度か撮影に行った場所=鉄クラブの新人歓迎撮影なんてことですが。
ブログにそのときの様子があるのでお暇なときにご覧下さい。ほぼ同じアングルから撮っている画像もあります。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-05-15-1
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2011-10-09-1
(下の方はC58の画像集で、その中に八高線が出てきます)
Cedarさん、
今昔写真日記の紹介ありがとうございます。
この金子坂や八高線の訪問は前に見たことがあります。
セメントと鉄鋼の日本の基幹産業を支えてきた氷川からの鶴見工業地帯への壮大な石灰石輸送を担ってきた青梅線と南武線。
一方、拝島から八高線による石灰石輸送も鶴見工業地帯の規模とは比較にならないでしょうけど高麗川一帯へとその一翼担ってきたのでしょう。
あの時の石灰石輸送風景は高度成長期の日本の基幹産業を支えていた一端だったということに。
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