案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月13日金曜日

宇高連絡線

1988年に瀬戸大橋が開通するまでは、
玉野市営電気鉄道のある宇野駅と対岸の高松駅の間に「宇高連絡船」が運航されていた。
国鉄高松駅に近い高松築港駅からは高松琴平電気鉄道が今も走っている。
玉野市営電気鉄道の開業時は電気鉄道でモハ100形101~103の3両がいたが、経費節減の内燃化で
不要となった電車3両が対岸の高松琴平電鉄へ移籍している。
玉野市営電鉄へ向かう途中に立寄った高松琴平電鉄ではこの元玉野市営の電車が走っていた。



宇高連絡線から見た高松港風景.ここに琴電の高松築港駅がある. 1969.5.6

高松琴平電鉄770(元玉野市営モハ101) 栗林公園     1969.5.6


4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

宇高連絡船には何度か乗っているもののさっぱり記憶が無いのはどうしたことでしょう?
玉野の電車、わたしが琴電で出会ったときは長尾線に使われていました、ブログに写真も。http://cedarben.blog.sonet.ne.jp/2010-05-01
栗林公園駅の佇まいもいいですね。ここから単線になるのは今も変ってないようです。

katsu さんのコメント...

cedarさん
昭和53年のうどん王国の電車を拝見させてもらいました。
この頃でもまだまだ貴重な電車がいくらでもいたんですね。
私はあの時、栗林公園の駅から観光客の流れに乗って栗林公園へ行ってしまいました。
観光は無視して貴重な琴電に専念すべきでした。

風旅記 さんのコメント...

おはようございます。
この時代にも個性の強い車両が日本の各地を走っていたのだろうと思います。
タイムマシンがあったなら、昭和40年代の日本を見てみたいと思うことがあります。
琴電のお写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

katsu さんのコメント...

風旅記さん、
コメントありがとうございました。
琴電もそうでしたが撮っている時は何にも感じなかった車両が
何年も経ってみると驚くほど個性豊かに感じてしまうことがよくあります。
昔の車両が個性強いのはその後の時代の激変がそう感じさせるのでしょう。
風旅記さんが撮られている今の鉄道の日々が将来どんな感じに変わるのか楽しみですね。
こちらこそ宜しくお願いいたします。