案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月20日金曜日

米坂線のキューロク 2

米坂線を訪問したのは昭和46年5月の連休であった。
社会人になってやっと手に入れた中古カローラの屋根にスキーを積んで月山の春スキーに行くのが目的であったが、最上川沿いに白銀の朝日連峰を見ながらのんびり北上し気ままな鉄道撮影の方が本来の目的であったかもしれない。

米坂線の96は冬の米沢駅で何回か見ているが、米坂線沿線に入るのはこの時が初めてであった。
マイカーを使った鉄道撮影もこれが初めて、初日は米沢から米坂線に沿って今泉の先の長井の駅前旅館に泊まった。
翌朝5時に宿を出発し朝の列車を米坂線のメッカ手の子~沼沢間の宇津峠越えで狙った。
朝の上り122レ旅客列車は不安がよぎったが96の牽引でほっと一安心。
この頃の旅客列車の牽引はDLに置き換えられ、96の旅客は朝の1本のみでそれ以外の96は全て貨物牽引ということであった。まあ貨物でも大好きな96が撮れれば満足であった。

手の子から沼沢、伊佐領、と場所を変え小国まで行って引き返し、この日は手の子駅前にあるSLマニアが集う宿「山形屋」に泊まった。宿泊者は鉄道マニアか写真趣味の人たちで楽しい宿であった。
地方私鉄ではこういう一極集中のメッカがないので同好者と同じ宿に泊まることはめったにないこと。さすがSLブーム到来の時代だったのだろう、宇津峠越えでは三脚を持ったファンをいたる所で見掛けた。既に米坂線SL撮影の良き時代はとっくに終わっていたのだろう。


小国駅の96  1971.05.02
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