案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月24日火曜日

三山線の終着駅 間沢

月山へ向かう途中に寄った間沢駅の風景。

モハ107   1971.05.03


モハ105→クハ化 これとは別に同形のクハ11がいる.
元西武多摩湖線の小型車101/1111形 2両が車体延長3扉化されて入線していた。


モハ101


電車が発車すると駅のホームは子供達の遊び場に.

2 件のコメント:

T.F さんのコメント...

三山線は3回行きましたが、沿線で撮影したことはなく羽前高松~間沢間の往復のみで終わりました。最初に訪れたのは、昭和41年9月2日で、この時は元西武のモハ105とクハ11はMT編成を組んでいました。
次は昭和43年8月31日で、左沢線に2往復残っていた客車列車を撮影するべく、前日の上野発「第2津軽」で出発して、左沢線の一番列車に乗り継ぎ、乗り潰しのため左沢まで行き、直ぐに折り返して羽前高松で下車。三山線も撮影したいため、駅の近くで撮影しましたが、左沢6時29分発の列車は、C11が客車8両を引いており、他にもキハ22先頭の6両編成を撮影しました。三山線はモハ111+モハ106+モハ105(電装解除クハ代用)、モハ112+クハ11を撮影後、モハ105を切離したモハ106+モハ111で間沢に向かいました。この時点では19往復運行されており、左沢線の山形~左沢間の列車14往復より多く運行されていました。
3回目は、katsu様が訪れられた少し後の昭和46年5月27日で、廃止された尾花沢線からハフ4が転属していましたが使われた形跡はありませんでした。前年12月1日のダイヤ改正で運行本数は11往復に激減して、羽前高松10時18分から13時30分まで、間沢発9時30分から12時50分までの間の運行がなくなり、並行路線バスが増発されました。(バスは寒河江まで直通)
katsu様が撮影されておられるホーム上の卓球台はよく覚えております。

katsu さんのコメント...

T.Fさん
詳細な三山線と左沢線訪問記をありがとうございました。3回も訪問されているとこの間の遍歴がよく分かりますね。私は2回だけでしたがT.Fさんの1回目と3回目は私の時とかなり近いですね。
昭和41年の元西武のモハ105+クハ11は是非見てみたかったものです。この時は連夜の夜行列車で羽前高松に着いた時には疲れ果て間沢まで行けませんでした。その後まもなくしてモハ105は電装解除されてしまったのですね。
5月頃の沿線風景が素晴らしく魅力的な電車が走るこんな三山線が仮に今でも存在していたら何回でも撮りにいくことでしょう。