案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月15日日曜日

通りすがりの高松琴平電鉄 昭和44年

高松琴平電鉄を訪問した時は、土佐電を撮った後、23:38高知発の高松行き快速夜行で車中泊し3:40着の高松駅のベンチで仮眠し朝を待つという強行軍であった。
高松築港駅から栗林公園まで往復しただけの通りすがりの訪問であったが、琴電ならではの前歴様々の凄い電車に出会うことができた。

元国電の6000形
元阪神881形の30形と50形
開業からの3000形
元国鉄買収富士身延鉄道の12000形
自社発注の1010形
元玉野市営電鉄の750形など


6000形610(元国電) 高松築港 1969.5.6



50形と3000形が行き交う 瓦町  クリックで拡大


元阪神小型車が6両も揃っていた.30形34と50形56


3000形325 高松築港


12000形1202   栗林公園


1010形1012  栗林公園

雨の栗林公園   1969.5.6

6 件のコメント:

toshi さんのコメント...

宇高連絡船と琴電は学生時代の合宿で多度津へ行った折りに乗ったことが有ります。宇高連絡船は紫雲丸事故で沢山の修学旅行中の小学生が犠牲になりましたね。

合宿が終わったあと琴電で栗林公園や屋島へ行きましたが、栗林公園を「くりばやしこうえん」と読んで笑われたのは懐かしい思い出です。

katsu さんのコメント...

toshiさん
今や四国に渡るには全く別ルートとなり宇高連絡線の思い出が懐かしくなりますね。
やはり栗林公園や屋島へ行かれましたか。
高松に行ったら避けて通れない名所ですね。
せっかくの名所なら行かないと寂しいし、行けば電車が撮れなくなる・・・
名所に電車があると観光に徹することができない悲しい習性の私です。

青蛙 さんのコメント...

宇高連絡船、S48年ホバークラフトでいきました。JRのグリーン切符。高松琴平電鉄は乗りましたが、写真は撮っていなくて今思えば残念でした。
あまり興味なかったのでしょう。路面電車、琴参電車の痕跡を見たかった。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
S48年と云えば社会人になってまだ独身、ケチケチ旅行は卒業したのですね。私はその頃はまだケチ旅行から抜け出せないでいました。
琴平一帯は1963年に琴平参宮電鉄(軌道線)が廃線になってしまったのが大きく、その後は他線に関心が薄れたのは私も同じです。

匿名 さんのコメント...

宇高連絡船、S48年ホバークラフトでいきました。JRのグリーン切符。は、新婚旅行の時でした。ケチ旅行は今も続いています。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、新婚旅行でしたか。
グリーン車利用や豪華な旅は当然ですね。
私はあさかぜの個室寝台を使いましたが最初にして最後の贅沢でした。