案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年1月17日火曜日

江若鉄道の車両

廃線直前の江若鉄道では、朝夕に最新型3両編成の2本を見たものの、日中は元国鉄07形や元熊延鉄道の気動車がトレーラ1両を牽くのが殆どであった。生え抜きの古いキニ4やキニ11まで活躍していたのが意外であった。
昭和40・41年に在来車、新造車を改造した3両編成2本を登場させ、同社初の液体式気動車で自動扉も初めて採用。ただし見掛けによらずこの新登場2編成は1両を除きかなり古い車両を集めた改造車であった。

キハ5121+ハ5010+キハ5122 比良号     1969.10.19
両端が元国鉄07形の改造で3扉車流線形の面影を残す.
中間車は客車改造した両端切妻形.


キハ5123+キハ5120+キハ5124
キハ5123はキニ6の改造、キハ5124が元国鉄07形の改造と元はかなり古い.
そして中間車キハ5120は新造キハ30の改番.

中間車キハ5120(キハ30の改番). 江若で最後の新造車.
1963年製造で登場後6年で廃線となり関東鉄道筑波線へ売却された.

筑波鉄道キハ511 1987.3.14

↑ キハ52(元熊延鉄道)+ハフ2
キハ15  元国鉄キハ41023

キハ22 元国鉄キハ071
前面が琵琶湖型のキニ11まで活躍していた.

ハフ2
ハフ3

気動車王国江若鉄道の車両についてはあまり関心がなく、寺田裕一氏のローカル私鉄廃線跡探訪
「消えた轍」4 で初めて詳細を知った次第です。上記の車両解説は「消えた轍」4からのものです。


江若鉄道と云えばネルソン、ダブスのテンダー機が2B1タンク機へ改造された
美しい鉄道省1070形の写真(蒸気機関車スタイルブック)が目に浮かぶ.
江若鉄道には1070形1107と1118が在籍し、1118(ダブス製)は羽鶴の1080と兄弟となる.


羽鶴の1080     1973.4.8
江若鉄道では昭和30年頃までこんな蒸機が古典客車を牽いて琵琶湖畔を走っていた.

2 件のコメント:

デナ21 さんのコメント...

懐かしの江若鉄道の風景を思い出します.私も廃線直前に記念乗車をしました.あれからもう40年以上も時が流れ,今ではすっかり沿線の景色も変貌を遂げました.その当時,京都市内から若狭方面に海水浴へ行くのに,三条京阪からポール電車で浜大津まで行き,そこからこの江若鉄道に乗り換え近江今津に到着.ここから国鉄バスに乗り,まだ未舗装の国道をガタゴト走り(バスの後ろを見ると砂埃で見えませんでした)若狭小浜へ到着しました.ゆうに半日はかかりました.
若狭(小浜)と近江を結ぶ当初の江若鉄道の路線計画は今だに達成されていません.

katsu さんのコメント...

デナ21さん、
江若鉄道の廃線、あれからもう40年以上ですか・・・。
あの頃は独身でしたが、その後があっという間に過ぎ去り、気が付けば40年以上も時が流れていたということに。
遠い昔の海水浴の思い出をありがとうございました。
京都市内から海水浴で若狭小浜へ向かうコースなんてあったのですか。昔の江若鉄道で蒸気機関車が牽く湖水浴列車の写真を見たことがありますが、湖水浴でなく近江今津から若狭へ出る海水浴があったとは思ってもみませんでした。半日掛かりの旅も今では湖西線の開通で便利になったことでしょう。