案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年1月6日金曜日

京福叡山線 修学院車庫


八瀬遊園行きデオ500形506  修学院  1969.1.2
パンタをポールに付け替えた元阪神小型車  
画像クリックで拡大


元阪神831形が6両休む修学院車庫


デオ500形510(元阪神831形)

生え抜きのデナと元阪神が混在する車庫の風景 


 京都電燈が叡山線用に増備したデナ21形22  1929(昭4)年日車製 


鞍馬電気鉄道開業時に新造されたデナ21形124 1928(昭3)年日車製

1944年に京福福井支社へ転じたデナ11形.  東古市 1968.1.14
叡山線開業時に新造されたデナ11形(11~14) 1926(大15)年日車製は
福井支社ホデハ241形(241~244)として生まれ変わった.


6 件のコメント:

なかっちょ さんのコメント...

katsuさん、はじめまして。

たまたまブログ友達から「叡電の古い写真がアップされてるよ。」と教えていただきまして、寄せてもらいました。

私の小学生時代の叡電の懐かしい風景を堪能いたしました。

この頃の叡電の沿線は、本当に田舎だったんですね。岩倉付近の田んぼには、よく虫取りや魚釣りに出かけました。

ポールが廃止になった頃(1978年)までは、この風景が残ってましたが、京阪や地下鉄の延長が発表されてから、急に住宅地になってしまいました。

また寄せていただきます。

katsu さんのコメント...

なかっちょさん、はじめまして。

昔の写真を見て戴きありがとうございました。
昔から叡電の沿線にお住まいでしたか。
昔の岩倉付近の田んぼはほんとうに自然が豊かでしたね。現在の沿線各所の風景をストリート・ビューで見て、その変貌ぶりがよく判りました。

叡山電車の四季を拝見しました。
四季折々の季節感が素晴らしいですね。
私にとって叡山線の印象は冬のモノクロの世界しかなく、今の叡電のカラフルな風景はとても新鮮に感じたものです。
私も貴サイトに寄らせてもらいます。
どうか今後ともよろしくお願い致します。

Cedar さんのコメント...

デオ500は阪神デビュー時はポールだったので誕生時の姿に戻ったわけですね。よく見ると先端がホイールですね。私が行ったときにはスライダー式になっていたと思います。スライダーだと架線から外れる事が少ないとか・・・

katsu さんのコメント...

Cedarさん
デオ500形はこの後もいろいろと叡山仕様に改造されて行ったようですね。

ポールの先がスライダーになって、その後はパンタになったようです。そしてデオ600形に足回りなどを供給して全車消滅。元阪神小型車デオ500形は第二の職場で随分お役に立ったのですね。

デナ21 さんのコメント...

今晩はkatsuさん.京都市電をはじめたのしく拝見させていただいてます.元阪神831形のデナ500形の懐かしい写真ありがとうございます.沿線に居住しておりますのでそれこそ何回も乗車しました.細見の車体で,特に運転席が狭く大柄な運転手さんは窮屈であったと思います.オープン運転席でしたので運転手さんの座る椅子はなく,立ったままでの運転でした.しかし,当時の阪神電車はこのような小型車でよく国鉄や阪急を相手に競争したものだと感心してしまいます.「待たずに乗れる阪神電車」のキャッチフレーズが効いたのでしょう.
阪神の小型車は,その後各中小私鉄で余生を過ごした車両が多い中,叡電にやってきたこの10両は他の叡電電車にもなじみ,違和感を感じさせずに活躍し,また手入れを十分にされ,かつ600形に機器譲り引退するなど一番幸せな余生を過ごした電車であったと思います.

katsu さんのコメント...

デナ21さん、
叡電の元阪神831形の思い出をありがとうございました。この電車の走行中の写真を拡大してみると運転手は確かに片側窓に納まってなんと狭いことか!

阪神時代に全電動5連で100Km/hでぶっ飛ばしたこの小型車形は、地方私鉄ではその小さな車体が使いやすかった電車だったと思います。特に叡電では10両も揃ったのが見事でしたね。
地方私鉄でも程良いサイズであったこんな大手私鉄電車の基本設計をした人に驚かされます。これほど最後まで有効活用された電車は他にないのではないでしょうか。
こんな私鉄電車の楽しさ満載の時代はもうこないのでしょうね。