案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年12月1日木曜日

長野電鉄

今話題の長野電鉄屋代線。
富山地方鉄道や長野電鉄は地方私鉄とは言え大私鉄過ぎて、撮りに行くことはなかったが長野電鉄の屋代駅と須坂近辺だけはちよっとだけ撮ったことがあった。新旧様々な電車が活躍していた時代(1970年)で、今見ると当時の電車には中々興味深いものがある。


屋代駅の風景   クハ1052(旧モハ)+モハ131     1970.8.17


モハ131+クハ1052

りんご園を行くモハ101

元東武鉄道デハ13→モハ400形411(1977年廃車)  でかいパンタとヘッドライトが小気味よい.須坂 

400形や1000形がいた須坂駅4番線ホーム( 屋代松代方面のりば )


お馴染みの当時の新鋭 モハ2000系  須坂


車庫にいたモハ102とモハ1003

昭和初期の川崎タイプらしい深い屋根が特徴のモハ610形611
昭和2年川崎造船所兵庫工場製
1981年上田交通に2両が譲渡されたが611は使用されることなく終った.

4 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

屋代のホームと待合室は今も往時の
ままです。来年廃止になるようです。
元東武は他車と制御器が違うので
屋代線専用の様でしたネ。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
屋代線、来春の廃止まで残り少なくなり残念です。近々に現地に行きたいと思っています。
屋代の駅は変わってないですか。車両は時代とともに変われど、素晴らしい駅が沢山残っているようですね。

Cedar さんのコメント...

旧形車時代の長野電鉄は良かったですね~
特急2000形やOSカーとの対比が際立っていましたが、旧形もメンテがよくピカピカでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
当時OSカーが主力で走っていて、こんな古い電車がいたとはスキャンして初めて知りました。
確かに当時の新旧は極端でした。
OSカーを見て近代的地方私鉄のイメージしか残らず、その後は関心が薄れてしまった地方私鉄です。