案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年12月4日日曜日

弘前電鉄 弘前の裏町

弘前を訪れたのは1966年3月、まだ残雪がある初春であった。
弘前には弘前電鉄(中央弘前-大鰐)と弘南鉄道(弘前-弘南黒石)と二つの私鉄路線があったが、
この数年後の1970年、弘前電鉄は弘南鉄道に吸収され現在の弘南鉄道大鰐線となった。

弘前電鉄の始発駅中央弘前駅は国鉄弘前駅から離れた弘前城が近い裏町の一角にあり、
土淵川に沿った小さな駅から大鰐行きの渋い電車が出ていた。
現在大鰐線として車両が近代化されても、この川沿いを走る裏町風景は変わらないのだろう。

撮影1966.3.3
川沿いにある小さな始発駅中央弘前 モハ100形  ↘行止まり
秩父鉄道から譲り受けたモハ100形、2両が暫く原形の色(グリーン)のまま使用された。
ホームの屋根の下にぶら下がった看板を見ると
ビヤレストラン富田直営
肉の折詰,盛皿,ハムソーセージ 肉の富田〒 とある.

中央弘前を出た木造車は土淵川沿いに裏町を走り県立弘前高等学校の前でカーブする.
元国鉄のクハニ200形は最後まで木造のまま使われた.    弘高下


中央弘前から二つ目に西弘前(現弘前学院前)がある. 赤い木造車クハニ200形

西弘前の駅に降り立つと貨物駅の倉庫に積まれたリンゴの臭いが漂っていた.
車庫があったが現在の地図を見ると消えている.
反対側の貨物駅だった側線1本は今も残っているようだ.
中央弘前行きの電車.  西弘前   
モハ105 唯一新型に見えたが元秩父鉄道木造車の車体更新であった.


クハニ200形202


グリーン色したモハ100形が赤い木造車を牽く.   西弘前


元秩父鉄道木造車で簡易鋼体化改造車.色は真っ赤であった. モハ103


西弘前の車庫  元秩父鉄道木造車モハ102と モハ101車体鋼体化後


引用: RMライブラリー弘南鉄道(上)(下) ネコ・パブリッシング発行

0 件のコメント: