案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年7月16日土曜日

土佐電 ごめん行き電車2


↑南国市後免町方面. 小篭通電停の手前で高知市から南国市に入る. 1969.5.5

高知市郊外の変化に富んだ未舗装併用軌道の区間は終わり、
篠原から後免西町まで専用軌道となり、直線区間をごめん行き電車が飛ばす.

後免西町~後免東町の併用軌道に入ると終点後免町も近い.

軌道線の終点後免町駅. 電車はここで高知市内(鏡川橋)へ引き返す. ポップアップ
到着した後免町駅の軌道線ホーム。ここで安芸線(鉄道線)に乗換えるか、直通乗り入れで安芸方面へ向かうことができる。ホームの先に安芸線の線路と車庫が見え、左に安芸線のホームがある。

軌道線の線路は鉄道線へつながっている.

はりまや橋から後免町までの後免線(軌道線)は、後免町駅で安芸線(鉄道線)と融合する場面が魅力的であった。後免町駅で軌道線が鉄道線の線路と繋がり、乗り入れ仕様の路面電車が安芸まで直通運転をやっていた。55年も昔(昭和30年)からこんな先駆的な取り組みをやっていたのに改めて驚かされる。

「のりかへ 後免町驛」と表示された軌道線のホーム.手前に安芸線(鉄道線)のホームがあり、軌道線からの直通乗り入れは左手が安芸方面となる.  ポップアップ

軌道線のホームと繋がった鉄道線(安芸線)のホーム.

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

政治主導の我田引鉄の犠牲になって廃止されてしまった土佐電鉄安芸線、結局3セクで開業になるなら、元の施設や運転方法を生かして近代化すればよかったのに・・と思います。
<とでん>がLRTとして運営していればよかった・・・。

katsu さんのコメント...

Cedarさん私も同感です。
惜しいことしましたね。
昔から路面電車の乗入れをやっていた安芸線をうまく活用したなら、今の広電宮島線のようになっていたかも知れません。
‘21世紀はLRTの時代’40年前の日本にまだこんな発想は皆無だったでしょう。
今の土佐くろしお鉄道阿佐線の建設計画でも路面電車と連携したLRT街つくり発想は全く無かったのでしょう。