案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月16日水曜日

最後の筑波鉄道

ブログタイトルの1960年代ではなく、1987(S62)年の事になりますが最後の筑波鉄道を連載してみます。
1975年~は地方私鉄めぐりに出歩くのは止めてしまい、唯一通い詰めたのが廃線間近の筑波鉄道でした。常総筑波鉄道筑波線→関東鉄道筑波線から1979(S54)年に筑波鉄道となって、最後の年(1987年)の1月に筑波を撮り始めました。


雨引  1987.1.18
あ~入ってしまった! と悔しい思い。しかしよく見れば邪魔な撮影者は自分の姿であった。
初期のビデオカメラ(ソニーベータ)を肩に担ぎ、同行した息子に静止画を頼んだようだ。

美しいカラーリングの気動車、筑波連峰の峰々、ローカル色豊かな駅施設、
茨城の風土・自然など、筑波鉄道の素晴らしさは余りに身近か過ぎて気付かなかった。


あれから24年、こうして今だからこそ筑波の素晴らしさが判るのだろう。
そんな昔ではないのに、遠い昔の出来事に思える。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

BSプレミアムのこころ旅にて、茨城のサイクリングで、此処を思い出しました。
残念ながら、当時はデジカメもなく、情景を思い出させて頂き有難う御座います。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
筑波鉄道の廃線跡はサイクリングロードとしてよく整備されていますね。
私も2年前に真壁~酒寄間を無料レンタサイクルで走ったことがありますが、
素晴らしい沿線風景を楽しむことができました。
ただ筑波鉄道の痕跡には消えた鉄道の寂しさを感じたものです。