案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年2月15日火曜日

葛生のナロー 2

1971(S46)年の春は、このモノクロ写真でした。
昨日アップしたカラー写真は、この3年後1974(S49)年の撮影で年月日を訂正させて頂きました。

やっと車が持てる時代になり、車で鉄道を撮りに行くのはこれが初めて、日記には「確かに便利だが足で歩いて撮りまくったあの充実感がない・・」とだけ記載があった。
写真以外には記録もなく、モノクロ写真と3年後のカラー写真を比較してみると、この時はまだ小さな3トン鉱車が使われていて、3年後のあの巨大な鉱車ではなかった。小さな3トン鉱車がいかにも鉱山トロッコ風で好ましい感じがしたものだった。

森を行く原石列車。  1971.4.25

小さな道と踏切、小さな川と橋、木立の中の小さな列車、中々楽しい光景であった。


3'6''ゲージとナローが並走する区間。


上下列車の交換。

牽かれる3トン鉱車が22両。

鉱山まで作業員を運ぶ人車は、日中、唐沢鉱山の隅で休んでいた。

2 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

なかなかナローの感じがよく出ています。
やはり、鉱山開発から始まったナローの鉄道は魅力的です。撮影場所から推察すると小山にいた時に撮った写真でしょうね。
モノクロの写真のほうが深みのある感じです。

katsu さんのコメント...

この時は小山に住み始めた頃です。
ふらっと小山から車で葛生の奥まで行けたのに何故頻繁に通わなかったのか! ここでも反省だらけです。
気が付いたら一変していました。
カラーの写真は羽鶴のSL運転会で現地に行ったものの運転会中止で、アルファロメオのI さんに会い、伴に住友セメントを撮りに行ったものです。