案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年11月24日水曜日

蒲原鉄道 村松駅の昼下がり

左の貨物線に休むモハ31。 右の五泉方面行きホームにはモハ71が。
真夏の昼下り、のどかな時間が過ぎる。   1968.8.17


発車間近い五泉行きの電車。

モハ31とモハ61が並ぶ。


モハ41?が休む車庫の佇まい。


村松駅の片隅にあった廃車体の倉庫。
蒲原鉄道が開通した大正12年に、蒲田車両で製造されたデ1とデ2。


廃車体デ1、2の台車ブリル76E-1は、
他の車両に転用され、しっかり生きていた。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

蒲原鉄道には青蛙の小生も同行していますが、これほど多くの写真があったとは驚きです。すばらしい写真の数々。数十枚しか撮影していない小生にとっては驚きでもあり、新鮮な感じを受けています。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
蒲原も撮影後、全くプリントしていなかった鉄道の一つです。そして元西武の電車にガッカリし何も覚えていない最たる鉄道でした。
今回、日記の記録からネガカラーを発見し整理してみると、青蛙さんとの42年前の行動が蘇ってきました。私も枚数はそれほど撮っていません。