案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月7日火曜日

東野鉄道 五日市鉄道から来た気動車

東野鉄道の初回(5月11日)にアップしたように、流された蛇尾川鉄橋の手前 西那須野~大田原を区間運転していたのが、元五日市鉄道の流線型17m車キハ501でした。
正面が国鉄42000と同型の流線型だが、42000のような3ドア大型車ではなく、41000に42000の丸い顔をつけたような好ましい気動車であった。オデコライトがとても魅力的。

西那須野と大田原間を往復するキハ501。  大田原近く  1966.12.30

西那須のから来たキハ501。 大田原近く
前回アップ済み画像を再調整しました。

キハ501。 41000の頭部に42000の流線型をつけたような気動車。





2010年12月6日月曜日

東野鉄道 津軽鉄道からやって来た機関車

津軽鉄道からやって来た名物機関車はグレーのDC201と茶色のDC202が機関庫の前で休んでいた。
その内に整備上がりのDC202のエンジン音が響き渡り、給水塔の前に移動したので、
何事が起きるのか聞いてみたところ、運転休止区間を中田原まで試運転で走るとのこと。
運転休止中とは言え全てが休止している訳ではなかった。
これはしめた!  とばかりすぐバス停に向かい中田原へ移動した。
中田原で撮影ポイントを決め待つことしばし、が一向にDCは現れず、
遂に諦めて大田原で気動車に乗り西那須野へと引き返した。



DC202と201    黒羽 1966.12.30


DC201


DC202

エンジンが掛って動き始めたDC202

2010年12月5日日曜日

東野鉄道 黒羽の機関庫

黒羽の機関庫には既に蒸機は消えていたが、給水塔や給炭場は残っていた。
あの魅力的なボールドウィンの蒸機1-B-1は数年前に廃車になったようだ。
庫内ではキハ503がエンジンを下し整備中であった。


かってはボールドウィンがいた機関庫  1966.12.30

かてはこの給水塔と給炭場にボールドウィンの蒸機が。



整備工場内の部品棚

整備中のキハ503のエンジンはDMF-13か?

整備中のキハ503 (元国鉄41000型)

東野鉄道 黒羽にいた車両


キハ502(元国鉄41000形) 同型の503は庫内に。 1966.12.30

黒羽には元ガソリンカーの2軸客車が4両いた。
2段上昇式窓のハ31を除くと、どれも田舎くさいスタイルをしていて
エンジン付で走っていた姿を想像すると、堪らない魅力を感じてしまう。
ハ31 日車製(元キハ20)

ハ30 日車製 (元常総鉄道キハ13→東野キハ30)


ハ33 日車製(元キハ11)


ハ32 日車製(元キハ10)

2010年12月4日土曜日

東野鉄道 静まりかえった黒羽駅

那須の山並みから吹いてくる12月の冷たい風、青空の白い雲、日が傾き始めた午後の日差し。
構内には元ガソリンカーの2軸単車、津軽鉄道からやってきた機関車、元国鉄気動車などが点在し、けだるく眠くなるような黒羽駅であった。


機関庫がある風景。  1966.12.30
津軽からやってきた機関車(手前DC201はグレーの色が正確に出ていません)


農業倉庫(今も残る倉庫)がある風景。


元ガソリンカー

2010年12月3日金曜日

東野鉄道 橋が流されて

前回の東野鉄道で、台風被害で西那須野~大田原間の区間運転を紹介しましたが、大田原から先の不通区間について触れてみます。  1966(S41)年12月30日訪問。

大田原駅を出るとすぐに蛇尾川の鉄橋で、この橋梁が1966年9月の台風により破壊され、その復旧工事中であった。大田原から先の不通区間は中田原、金丸原、白旗城址前、そして終点黒羽となる。たどり着いた黒羽駅に客は居ず、動かない車両達で静まり返った駅はまるで廃線直後のような光景であった。


復久工事中の蛇尾川鉄橋  1966.12.30


不通区間の駅 中田原。
お知らせには「1月5日の初列車から運行します」とあった。


この先、那珂川に沿って那須小川まであった区間は1940(S15)年に撤去された。黒羽


黒羽の構内からは遠く那須の山並みが望める。 黒羽 

午後の陽を浴び、静まり返った黒羽駅
今も残る農業倉庫(左手奥)を基準すると、この当時の駅は今のホームセンターあたりか?

黒羽駅

2010年12月1日水曜日

川のフチにあった飯坂温泉駅

1982(S57)年12月に飯坂温泉の駅の改築があったようです。
1966と68年に撮った飯坂温泉駅と摺上川の位置関係が、今の地図とは違っているのはそのためのようです。以前は線路の車止めが摺上川ぎりぎりの位置にあったが、昔のホームの処に新駅舎を作りその分ホームを移動後退させたようです。


Aの処が新駅舎

川のフチにあった飯坂温泉の駅。  広窓のモハ1202      1968.12.15

直ぐ下を川が流れる飯坂温泉の駅。  1966.12.31


川を挟んで大きな温泉ホテルが並ぶ。 1968.12.15

2010年11月30日火曜日

福島交通 坂温泉行きの電車1

ひなびた軌道線の湯野町駅から飯坂温泉に向かうと、街中には立派な温泉ホテルが多く、その中にある飯坂温泉駅はそれまでの軌道線とは違って別世界であった。飯坂温泉駅には乗客も多く駅も電車も奇麗で立派な電鉄であった。
規模が大きい有名温泉地のせいか、街もアカ抜けし鉄道に並走する道路も舗装され泥だらけのよう光景はここにはなかった。最新型の連節式電車などがバンバン走っていて、余りにもアカ抜けしていたため、訪問したことが全く記憶に残っていない鉄道であった。おかげで飯坂温泉から福島へ向かう途中に撮影した場所も不明で、marimoさんに調べてもらいやっと確定しました。marimoさんありがとうございました。


温泉客で賑わう飯坂温泉駅。 S38年新製のデハ5012-5013  1966.12.31


道路と並走し飯坂温泉に向かう電車。この年に新製したモハ5114

擦上川の鉄橋


曽根田の車庫風景。 モハ1209と1208 右はモハ1211     

モハ1209と1208 幅狭窓の15m車 曽根田

モハ1202 1955年日車製広窓の15m車     曽根田


モハ1205と1204 1948年手塚製作所製の12m車。  曽根田


2010年11月29日月曜日

福島交通軌道線 湯野町

福島駅前~長岡分岐点~湯野町13.2kmが飯坂東線で、長岡分岐点をでると西へ向かい、東北本線をオーバークロスして湯野町まで走っていた。
福島から一直線の延びる飯坂温泉行きの立派な鉄道線と違って、湯野町の温泉行きの路面電車はその駅名からしてひなびたムードを感じてしまう。路線も長岡、伊達でややこしく分岐して湯野町に向っているところが何とも言えない魅力を感じたものだ。

終点湯野町は川を渡れば、すぐに飯坂温泉だが、川の手前側に湯野温泉があるせいか飯坂温泉の駅名ではなかった。川をはさんで「飯坂温泉」と「湯野町」と二つの駅が存在していた。





湯野町 - 明神町        1966.12.31
畑の中を一直線に進み湯野町に到着する。

福島交通軌道線の終着駅湯野町

湯野町の駅前
「湯野町」と「飯坂温泉」の駅は離れていて、温泉街を流れる川の橋を渡ると
直ぐに福島交通鉄道線の「飯坂温泉」駅があった。

福島交通鉄道線の飯坂温泉駅

2010年11月28日日曜日

福島交通軌道線 長岡分岐点

前回に引き続き、アップ2回目の長岡分岐点です。

聖光学院・伊達・湯野町温泉 ↖      長岡分岐点  →保原・梁川・掛田   1966.12.31

長岡分岐点。 左手に待合室が見える。 ↗ 直進すると福島へ向かう。

長岡分岐点の賑わい