案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年3月27日水曜日

大多喜のたんたん麺

先日、いすみ鉄道鳥塚社長の社長ブログに「大多喜のたんたん麺」のことが書かれていました。 

ちょうどこの日、私達は夷隅郡大多喜町の民家の裏にひっそりとたたずむ夷隅(いすみ)軌道の遺構を訪ね、
鉄道ホビダスの編集長ブログに紹介された夷隅軌道の転車台 の跡を眺めていました。
大多喜駅にあった復元人車なら方向転換なんて必要ないだろう? との同行メンバーの疑問に、
私はあの夷隅軌道の単端式ガソリンカーが目に浮かびました。
大多喜のたんたん麺、何とかわいらしい単端でしょうか。

2フィートゲージの単端がこの転車台で方向転換したのでしょう.大多喜  2013.03.23

夷隅軌道の車庫跡

大多喜は街全体が古い町並みを保ち城下町のような雰囲気を保っています。
そんな大多喜の街中の「房総中央鉄道館」にあったHOナローの単端。

アルモデルの夷隅タイプ自動機客車の模型(Oナロー)は→こちら

沼尻 ガソ101の小さな転車台と方向転換。沼尻の単端と較べると夷隅のはかなり小さい。

2 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

ターンテーブル跡の現況、大変参考になります。いつか夷隅軌道跡の探索をやってみたいです。
そろそろ旬の季節かと思いますので、一度大多喜あたりには実家の家族で筍料理を食べに行きたいと考えています。
母親が足が悪いので車なんですが、途中で皆をいすみ鉄道に乗せて自分は車で先回りなんてのも、ちょっと面白そう。

katsu さんのコメント...

H.kumaさん
夷隅軌道の探索レポート楽しみにしています。
2フィートゲージで人車から動力化(ガソ単端)された夷隅軌道には大変惹かれますね。
大多喜の筍料理は私も食べたかったのですが4月上旬過ぎからだそうです。
いすみ鉄道は鉄ファンでなくて「いすみの旅」が楽しめるので何回でも行ってみたいものです。
ただ今年の菜の花はちょっと元気がなかったです。