案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月17日月曜日

山形交通高畠線4 糠ノ目駅

糠ノ目駅に到着したモハ1   1966.3.6

高畠線の基点である奥羽本線糠ノ目駅に電車が到着すると、乗客は隣にある奥羽本線のホームへ向かって行く。国鉄の駅の脇に「○○線のりば」の看板を掲げたホームがあって、そこにひなびた電車が1両ポツンと客を待っている・・・こんな地鉄乗換え駅光景は当時どこにでも見られた。
奥羽本線糠ノ目駅もそんな典型的な地鉄乗換え駅の光景で、「山形交通 高畠線のりば」の看板を下げた小さなホームにモハ1がお似合いで、隣の奥羽本線にはC57の旅客列車が走っていた。まるで模型のような情景が当たり前の時代であった。

高畠線の乗客は、やがてやって来た奥羽本線の蒸機列車に乗換える. 糠ノ目

ひと気の無くなったホームで乗客を待つモハ1

奥羽本線糠ノ目駅ホームから見た山形交通高畠線のりば
背後に白銀の山並みが見える

3ドア車モハ4 と ED2

2 件のコメント:

moro9 さんのコメント...

貴ブログの高畠線を拝見。最盛期の熱気を感じました。
訪問が1966年3月6日になっていましたね。
この日の朝、私は羽後交通横荘線にいました。結構ニヤミスしてますね。
前夜から吹雪で、奥羽線上り列車と横荘の上り列車のすれ違いを撮りました。

katsu さんのコメント...

私が羽後交通横荘線を撮ったのは1966年3月4日でした。
moro9さんが訪問した2日前という事になりますね。
春休みということで日程が近かったのでしょうか。
横荘線の翌日に小坂や秋田中央交通を撮って、青森から夜行で福島へ向かい、
奥羽本線を北上し翌3月6日に高畠線を撮った次第です。
夜行列車で南下と北上を繰り返しmoro9さんとは各所でニヤミスしているのでしょう。