案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年12月13日木曜日

山形交通高畠線1 終点二井宿

山形交通高畠線を訪問したのは1966(昭和41)年まだ残雪のある3月であった。
高畠線は奥羽本線の糠ノ目(現在は高畠)駅から沿線の中心部高畠を通り新井宿まで走っていた。この訪問から半年ほど経った昭和41年8月に台風で屋代川が増水し橋梁が損傷して高畠~二井宿間が休止となってしまった。残された糠ノ目~高畠間は昭和49年11月の廃線まで走っていたが、休止となった高畠~二井宿間は復旧することなく消えてしまった。あの時に撮った閑散区間は休止直前の風景だったのだ。


終点二井宿の駅  1966.3.6
駅の背後に山が迫りここで線路は終わりだが、この先の二井宿峠を越えて東北本線白石と接続する山岳路線の計画があったそうだ。

ひと気のない終着駅、電車の客もまばらであった.

二井宿の駅前には集落があったが、あたりはひっそりとしていた.

ひなびた駅に似合う小さな電車モハ1
二井宿から線路に沿った街道を一駅歩いてみた.
二井宿を発車した糠ノ目行電車は七ヶ宿街道(旧道)に沿って走る.


山形交通高畠線、ここも小ブログの初期に紙焼プリントを数枚スキャンしてアップしただけであり、今回、初めてネガをスキャンして新規にアップしました。以前にアップした記事は抹消します。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

沿線の風景がいい。街道沿いに古民家が点在し、ニ井宿駅の風情と駅前の閑散とした街並み。しっとりとした感じだなぁ。

katsu さんのコメント...

匿名さん、
感想ありがとうございます。
二井宿あたりは何でこんな寒村に鉄道が開業したのか不思議に思ったのですが、
糠ノ目から白石へぬける七ヶ宿街道ぞいに集落が点在し、鉄道の沿線は街道沿いの集落だったようです。
ひと気のない寂しい光景でしたがほんとうに素晴らしい区間でした。