案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月9日金曜日

伊予鉄道 道後温泉

昭和44年5月の連休に行った四国の記録を読むと、松山駅に夕刻18:30到着し伊予鉄バスで道後温泉駅へ行き、そこから更にバスで奥道後へ向かい、奥道後遊園地内にあるケーブルカーで山頂にある奥道後ユースホステルに夜遅く到着し一泊していた。

バスを乗り継いだ道後温泉駅では周辺に旅館やみやげもの屋がひしめきあっていて、客引きの素泊まり1500円の宿に泊まって共同浴場で道後温泉を楽しめば良かったのに、何で山奥の奥道後の山頂まで行って泊まったのか不満が記録されていた。
この時の四国行きは鉄ファンではない相棒との観光で、社会人となりもうそれほど安宿に拘る必要もなかったのに何故ユースホステルに泊まったのか。相棒の松山の夜景見たさだったのかもしれない。

翌朝、小鳥のさえずりに目覚めて山を降りて道後温泉へ戻ったところで詳細記録が途絶える。
道後温泉駅から道後公園、松山城、松山駅へと徒歩で巡った行程記録があるが、朝の市内線風景や松山市内の電車風景を撮るための日程だったのだろう。鉄アァンでもない相棒を道ずれにして申し訳ないことをしてしまった。

道後公園の堀沿いを走ると電車は道後温泉に到着する   1969.5.2

道後温泉駅は今も変わらないのだろう.

道後温泉駅
団体客で賑わう道後温泉駅前.この時代はどこの温泉地でも団体が多かった.
団体さんは道後温泉で一泊し翌朝松山市内定期観光バスに乗るのだろう.

呉からやってきた1003.   道後温泉
呉市営交通1000形(1001~1003)   1967.3.7

4 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

私はkatsuさんの約十年後にほぼ同じ行程で訪問しました。
一昨年、息子との二人旅で30数年振りに道後温泉を訪問しましたが、駅の雰囲気も走っている電車も殆ど変わっていなくてびっくりしました。運転手さんの親切な対応と地元の人々との暖かい会話が印象的でした。50形という電車、好きです。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
ありがとうございました。
道後温泉の駅はやはり今でも殆ど変わっていないのですか。
あの時の50形がまだ活躍しているようで、車齢60年とは嬉しいものです。
きっと活きた鉄道遺産?を大事にしているのでしょう。
40年前に訪問した時は松山という街に独特の雰囲気を感じた事が私の記録にありました。
また松山へ行ってこんな電車に乗ってみたいものです。

常夜燈 さんのコメント...

私が訪れたのは1967年で
奥道後YHで泊まりました。
道後温泉からは遠かった。
50型に加え超低床車がありで
再訪問したい。横河原線も
一部非電化でした。
この頃のモノクロネガが
ダメになっていますので
懐かしく拝見しました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
そうでしたか、あの奥道後YHに泊まりましたか。道後温泉から山奥に入った奥道後YH、今ではもう閉鎖されてしまったようです。
松山のことは何も覚えてなく記録のみ。私も今の松山市内線を再訪問してみたいものです。