案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年5月27日金曜日

松本電鉄 早朝の浅間温泉

昭和38年の夏 松本電鉄浅間線を訪問した。夜行で朝5時前まだ暗い松本に到着すると、早朝の温泉行き電車を狙った。ひと気がなくまだうす暗い松本のメインストリートを木造電車が行き来していた。
途中で温泉行き電車に乗ったが、運転台が客室より一段下がったタイプ(客室からは前方がよく見えない)で超骨董品級木造電車であった。
到着した浅間温泉は松本市の東方 美ヶ原高原から続く山並みの麓にあり朝モヤに包まれていた。
朝の通勤時間帯で上りは松本市内へ向かう乗客で満員であった。こんな朝を夏の太陽がまぶしくなる8時頃までこの浅間温泉近辺で撮り歩いた。気がつけば朝食抜きだったがこれは毎度のこと。
この長閑な風景も2年前に訪れた時は山のかたちと道路のカーブくらいしか面影はなく、すっかり変わってしまった。軌道跡は立派な大通りとなり、この道を走って美ヶ原高原に向かうバスの車中ではガイドさんが軌道跡がこの大通りになった事を説明していた。

朝の浅間温泉を出発した上り電車  1963.7.20   ポップアップ画像


朝陽が差し込む早朝の浅間温泉駅 中浅間駅

洋風の駅本屋.浅間温泉駅

この先を右へカーブしすると浅間温泉に到着する.

温泉旅館の看板が掛った温泉入口.
今では軌道跡は大通りとなり、この温泉入口の道はそのまま残っていたようだ.

4 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

一緒に出かけた時だと思いますが懐かしい光景ですね。今ではバスで30分ぐらいで浅間温泉に行きますが当時は駅前通りも車が少なく
のんびりと走る光景と学校前から専用軌道に入ったあたりから少しずつ田園風景が広がっていましたね。朝飯変わりのかき氷もうまかった。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
3人で撮りに出掛けた二日間の事が幸い克明に記録されていて読み返しています。松本機関区や篠ノ井線の蒸機にもけっこう時間を割いていました。
かき氷は朝飯代わりでしたか。

常夜燈 さんのコメント...

浅間線は間に合いませんでしたが
2年前に全線自転車で走りました。
最後の2カットは「下浅間」と
思いますが、道路も踏切脇の
「山方新道開通記念碑」も
残っていました。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
コメントありがとうございます。
最後の2カットは確かに下浅間の駅の脇です。
踏切脇の記念石碑が残っていましたか。
それなら石碑の位置から昔あった線路の位置が割り出せますね。私も2年前にこの場所を歩いて撮ったのですが今昔の位置関係が曖昧でした。