案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年5月16日月曜日

広島電鉄 宮島線2

次に広島郊外の鉄道線風景を35mmモノクロネガから追って見ました。

広島駅前から己斐まで路面区間を走る宮島行き電車  1967.3.7


軌道線と鉄道線の接点 己斐(西広島)駅. 軌道線はこの先の鉄道線へつながる.

宮島線の西広島駅. 鉄道線高床ホーム

左手から軌道線が鉄道線へ合流する西広島駅


宮島線風景 1030形

高床車と低床車が行き交う風景. 


低床と高床のホーム.中央魚市場前

田園風景を行く

6 件のコメント:

CEDAR さんのコメント...

いいですねえ!広電宮島線!私が行ったときには鉄道線の高床車は全滅状態でした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
鉄道線の高床車は1991年に全廃したんですね、知りませんでした。
今も残る路面電車は素晴らしい発展を遂げ、路面電車と一体となった洗練された広島の街並を訪れてみたいものです。

智子 さんのコメント...

こんばんは。偶然このサイト見つけました。
私は1970年代に子供のころ中央魚市場前駅の裏に住んでいました。とても懐かしく拝見しました。
ちょうど宮島行きのピンク電車(地元ではこう呼んでいました)の背後に松の木が2本見えますねそこの後ろのアパートに住んで居ましたので、このホームはもう毎日のように遊び場でしたね。
低床?というのですか?その低いホームですが
新しい種類の電車が入ったときに(確か小学2年生くらい)写真にある低床のホームの階段が5メートルくらい、写真でみる手前にずらされました。きっと長さがたらなかったのでしょう。
ドイツのドルトムント号のためだったかな?
そのころ外国の車両がいくつかあって偶然乗るのをとても楽しみにしていました。

高いホームの向こうがわにある踏み切りが
(それも写真がありましたね。耳鼻科の看板がある踏み切り)

カンカンとなるのですがそれがなり始めてから家を出るとちょうど電車に乗れていました(笑)

住んでいたアパートは80年代に立ち退きになりその場所には今小さい公園ができています。

荒手車庫にもよく忍び込んで遊びました(笑)
本当になつかしく、失礼ながらこの写真を携帯でとり、一時期待ちうけにしていました(著作権にはひっかからない・・?)

またたまに見ますね。ありがとうございました!

katsu さんのコメント...

智子さん、はじめまして。
子供の頃の広島電鉄の思い出をありがとうございました。
中央魚市場前駅の写真で松の先に確かに2階建の建物がありますね。
1970年代に身近な広電の存在が生活に溶け込んでいたようでとても楽しそうな思い出話ですね。
昔は路面電車の駅の低いホームが子供たちの遊び場になることがあり、他でもそんな光景を見たことがあります。
あの電車が ピンク電車と呼ばれていたのですか。正にその通りであのピンク色が鮮明に目に浮かびます。
その後、昔の駅名も変わってしまい商工センター入口で降りた時などはまごつきました。
現在の広電のことは全く知らないのですが、大きく発展して無くてはならない市民の足になっているようで嬉しい限りです。
広電の思い出話を是非また聞かせて下さい。

加連之智 さんのコメント...

高床と低床ホームは未だ楽々園駅など一部に現存しています。高床車やドルトムント電車は2000年頃まで休車扱いで車庫に留め置かれてたのを記憶しています。

katsu さんのコメント...

加連之智さん
高床式ホームはまだ現存している駅があるのですか。
高床と低床の電車が混ざって走っていた頃はほんとうに興味深い路線でした。
あの頃の宮島線も今ではすっかり様変わりして洗練された事でしょう。