案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年5月29日日曜日

松本電鉄 朝の通学風景

下浅間  1963.7.20
浅間温泉から松本方面に向かって行くと2つ目に「下浅間」に到着する。
石碑のある温泉入口道路の踏切脇のところである。電車はこの先を左へカーブして行く。

運動場前
その次が交換駅「運動場前」で、この時間帯の下り電車は松本方面からやってきた高校生を満載、ここで高校生達を下すとガラガラとなってしまった。

電車から降りて来た高校生達は学期末のせいかカバンを持っていない。
東京では見れなくなった男子のゲタ履き姿が粋だった。
この頃 高校・大学生の間ではアイビールックが流行りl始めていた。

次々と電車がやってきて高校生が絶えない運動場前駅


あれから46年、松本電鉄上高地線の松本市郊外の通学風景は.

松本電気鉄道上高地線 下島 2009.10.20
ホビダス「今日の一枚」投稿画像.

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